隅田川花火大会(東京都)

千輪(せんりん):紅い小花がたくさん開いた「千輪菊」で、2つ「千輪菊」が重なったのでより小花が華やかです。遠くの花火は、青、緑、紅色の「満星(牡丹)」で連発打ち上げのスターマインです。ビル群に花火の音が鳴り響くのは都会ならではで、いろいろな場所から観覧できるのも隅田川の花火の特徴といえます。

 江戸時代の1613(慶長18)年8月、徳川家康は駿府城で花火見物したとあります。それから花火は江戸の諸大名間で流行し、江戸庶民も夕涼みをかねて大名の花火を楽しんだといいます。

 江戸庶民の間で流行するようになったのは、1623(元和9)年に花火好きだった三代将軍家光が、花火を奨励したことから始まったといいます。それからわずか約30年後の1648(慶安元)年には、「花火を隅田川以外の町中でしてはならない」と触れがでたほどです。その当時の花火は玩具花火のようなものが作られていたようです。

 時は流れ、1732(享保17)年には享保の大飢饉がおこります。それを重くみた八代将軍吉宗が1733(享保18)年5月28日、疫病退散祈願をして隅田川で水神祭を行いました。同時に川の両岸の水茶屋が施餓鬼供養をし、余興に花火を打ち上げたのが、現在の隅田川花火大会の起源となっています。

「かぎや~、たまや~」の優雅な伝統を引く花火は280年以上の歴史を誇っているのです。

 今では東京スカイツリーが出来て、いっそう華やかになりました。花火当日の夕暮れ時になると、いろいろな形をした屋形船が次々に現れて列をつくり船上から花火見物を楽しむ人たちがいます。中にはその船の屋根の上に乗っている人もいて、一瞬江戸時代の浮世絵を見ているかのようで、その景色に見入ってしまいます。

 都内東側の地域であれば、比較的広い範囲で花火が目に入るでしょう。ビルの合間に見える花火の姿も、現代の東京らしい風情といえるかも知れません。

 ところで、両国駅そばの江戸東京博物館には「両国橋西詰模型」があり、江戸時代の両国橋の芝居小屋や屋形船が、ミニチュアで再現されています。ミニチュアながらみごとな出来で、江戸時代に花火がここで打ち上げられていたのかと思うだけで、私はもう見飽きることがありません。

大会概要
【大会名称】 隅田川花火大会
【開催場所】 東京都台東区・墨田区 隅田川
        第一会場 桜橋下流 ~ 言問橋上流
        第二会場 駒形橋下流 ~ 厩橋上流
【観覧席】 有料観覧席(市民協賛席)あり(要事前申込)
【アクセス】 第一会場 東京メトロ銀座線ほか浅草駅より徒歩15分
       第二会場 JR総武線・都営地下鉄大江戸線両国駅より徒歩約15分
【URL】 http://sumidagawa-hanabi.com/
【問い合わせ】 隅田川花火大会実行委員会事務局
         〒110-8615 東京都台東区東上野4丁目5番6号(台東区役所10階観光課)
         03-5246-1111(代表)

泉谷玄作(いずみや げんさく)
写真家。1959年 秋田県に生まれる。花火の撮影をライフワークとする。現代美術作家、蔡國強(Cai Guo-Qiang)氏の依頼で、2002年MoMA(ニューヨーク近代美術館)主催の「動く虹」の花火や、2003年ニューヨークセントラルパーク150周年記念の「空の光輪」の花火などを撮影。著書に、『心の惑星-光の国の物語』(クレオ)、『日本列島 四季の花火百華』(日本カメラ社)、『静岡県ふくろい遠州の花火』(日本カメラ社)、『花火の図鑑』(ポプラ社)、『花火の大図鑑』日本煙火協会/監修 (PHP研究所)、『日本の花火はなぜ世界一なのか?』(講談社+α新書)など、花火に関するもの多数。日本写真家協会会員。

2014.07.05(土)
文・撮影=泉谷玄作