ところで、本書にはふたつの実名が頻繁に登場する。大谷翔平と藤井聡太。いまをときめくメジャーリーガーと八冠全冠制覇の永世棋聖、永世王位。試しに名前の数を拾ってみると、大谷翔平十七回、藤井聡太九回! 「疑うのが商売」の哲学者が生身の人間を引き合いに出すのは、よっぽどのこと(ちなみに、そのほかの名前ときたら「斜財御免氏」とか「コラ・亀田氏」とか、加山雄三は「若大将」として登場)。このふたりの活躍ぶりと実力、言動や人柄は哲学的考察の範疇を超えているということなのか。でもね、土屋先生。これは私に限ったことかもしれないのですが、困った事態が勃発したのです。大谷翔平選手は、いまや飛行場にも路上にも渋谷の交差点にもどこにでも出没し、最近ではコンビニの店頭のノボリにも現れておにぎりを口に運んでいたりする。私は、野球選手としての大谷翔平にぞっこんだが、コンビニの軒先でおにぎりを食べる姿を見たいとは思わないし、いや、はっきり言えば見たくはない。こないだ、例のノボリがはためいているコンビニの前を通りかかったとき、不意に顔をそらす行動に出た自分に驚き、少なからず動揺してしまった。

 土屋先生は言う。

「一番思い通りにならないのは自分自身だ」

「自分自身が思い通りにならない上に、自分のまわりを思い通りにならないもので固めているのだ。思い通りにならない生活を求めているとしか思えない。すべて思い通りになる天国に耐えられるはずがない」(「天国に住めない理由」)

 結局のところ、自分の敵は自分なんですね。やれやれ。

 ギリシャの神殿には「自分を知るには一生かかる」と書かれているとどこかで読んだことがある。凡人の私は、一生どころか何生ぶん生きたところでおのれを知ることなど叶わないだろう。

 土屋先生のなかにおられる何人もの「土屋賢二」がいくつもの知恵の輪を手に取り、するりと解いたのを土屋先生が回収しながら「ツチヤの口車」に綴っている……そんな微笑ましい図を思い描くと、ちょっと安心するのです。なぜでしょうか。教えてください、土屋先生。

記憶にありません。記憶力もありません。(文春文庫 つ 11-30)

定価 792円(税込)
文藝春秋
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2025.07.17(木)
文=平松洋子(作家・エッセイスト)