【四十路独身上京漫才師】として東京へ

――M-1の終わりと同時に上京も決意されたんですね。
コンビ名を学天則からガクテンソクにし、衣装もスーツに変え、上京を決めました。それまで僕の中の理想は、大阪を本拠地とし、M-1で優勝して、そのまま上京せずに大阪で漫才を頑張ることだったんですけど、それはミルクボーイにやられてしまった。同じようなコンビは2組もいらないだろうし、M-1も終わり、さぁどうしようかとなったときに、「根拠もなしに東京に行っても別にいいか」と思うようになりました。
――何もかも、自由になったんですね。
そうですね。このまま大阪にいても自分ができることは限られてるなと思って。舞台や営業をきっちりこなす芸人はすでにたくさんいる。それに、あと何年この脳みそが通用するんやろ、とも考えてました。世の中はどんどん変わるし、50歳ぐらいまでが、売れる・ウケるために新しいものを生み出せるギリギリのラインちゃうかなと。
もちろんその先も活躍できる人はいるけれど、それは40代までに自分のスタイルや立ち位置を確立できた人たちです。僕らはM-1が終わった時点で40歳手前。そこからの10年をどこで戦うかを考えて、「バトルフィールドは広げるべきや」と思いました。
――つまり、上京は老後を見据えて……。
老後のためですよ(笑)。同じ10年でも、大阪にいるのと東京で必死にやるのとでは、まったく違う自分になってくるはずです。だったら、まだ体力のある今のうちに動こうと。スケジュールの都合ですぐには動けなかったんですが、2023年に上京しました。
――それから約2年。東京での生活はどうですか?
楽しいですね。物価は高いし、しんどいこともありますが、それは最初からわかっていて自分で選んだことですし。それに夢も希望も全部持ってきたわけじゃないんで。
――というと?
「頑張るなら東京で」と決めてきただけです。だから、普通に楽しかったですよ。この歳になって、新しい路線図を覚えたりするのも、案外おもろいなと思ったり。東京は仕事の種類も多いので、明らかに無理なこと以外はとりあえずやってみよう、と思っています。
――「有吉の壁」(日本テレビ系)で、ぱーてぃーちゃん・金子きょんちぃさんと披露したコント「京佳お嬢様と奥田執事」みたいな、漫才以外の仕事でファンが一気に増えることもあるわけですもんね。
あれも大阪に残って漫才にこだわっていたら、出合わなかったタイプの仕事です。男女で即興コントをやってくださいっていう番組で、「なんとかせなアカン!」と必死になった結果、予想以上に楽しんでいただけた。
変にカッコつけてシュールなコントにしたり、大喜利っぽいことで誤魔化してたら絶対ウケなかったと思うんですよ。やっぱり、本気で「今日を頑張ろう」と思ったほうがいいんです。ちょっと恥ずかしいですけどね。執事キャラなんて若い頃なら恥ずかしくてできなかったかもしれませんが、今はもう、恥ずかしさも含めてちゃんと引き受けてます。
2025.07.01(火)
文=伊藤由起
写真=佐藤 亘