この記事の連載

 芸歴19年・41歳で上京し、急速に活躍の場を広げているガクテンソク・奥田修二さん。上京する前のコロナ禍から書き始めたnoteをベースにした初エッセイ『何者かになりたくて』(ヨシモトブックス)が話題です。15年にわたるM-1への挑戦から『アサヒ スマドリ THE SECOND~漫才トーナメント~2024』(以下、THE SECOND)のチャンピオンになるまでの胸アツなエピソードは、読み応えたっぷり。

 後篇では、M-1挑戦を終えて2023年に上京し、その後はご存じの快進撃。その裏にあった葛藤や想いを聞きました。


M-1からTHE SECONDまでの道のり

――本に書かれていたのは、奥田さんにとっても濃密な数年間ですよね。特に「M-1グランプリ」と「THE SECOND~漫才トーナメント~」の部分は厚みがあり、漫才師としての生き様や賞レースの緊迫感がリアルに伝わってきて、引き込まれました。

 ありがとうございます。編集の方と相談しながら加筆を重ねたことで、2020年にM-1への挑戦が終わり(“結成15年以内”という出場資格を超えたため)、そして2024年に「THE SECOND」(“結成16年以上”が条件)で優勝するまでの、自分にとって特に濃密だった4年間を記すことができました。

 M-1がなかった時代の芸人さんたちは、目指すものがもっと漠然としていた気がするんですよ。「テレビに出たい」「スターになりたい」とか。そういう時代にM-1が始まって、当時の出場者たちは、僕らほどM-1に対して強い思い入れはなかったと思います。

 でも、僕らが漫才を始めたころには、すでにM-1がありました。笑い飯さんのようになりたい、麒麟さんや千鳥さんと同じ舞台に立ちたい――そう思いながらM-1を目指して漫才をやってきたし、「M-1で優勝すれば一人前」「何者かになれる」と本気で思っていたんです。

 高校球児にとっての甲子園のように、M-1は非常に大きな目標で、そこにすべてをかけていた。だからこそ、挑戦が終わったときの喪失感は本当に大きかったのですが、「漫才そのものが目的なんだ」と思えた瞬間、世界がガラッと変わったというか、すごく自由になった気がしました。

――M-1という呪縛から解放された。

 そうですね。M-1のネタって、ちょっとひねったテーマで、テンポがよく、ボケの数も多い、濃密でニッチな4分間なんです。でも、それはM-1という特殊な場だからこそ成立するのであって、たとえば夏祭りの屋外ステージで、子どもたちの前でやってもウケないんですよ。

 逆に、M-1では扱いにくかった「ドラえもん」みたいな、みんなが知っている題材をちょっとずらすだけでボケとして成立する。M-1が終わってから、そういう自由さを手に入れたのも大きかったですね。

2025.07.01(火)
文=伊藤由起
写真=佐藤 亘