浅野忠信の母として知られる浅野順子さん。その波乱万丈の人生を、同世代のミュージシャン・近田春夫が聞き手となって掘り下げる対談が行われた。
横浜出身の順子さんは、19歳で結婚し、21歳で長男を、23歳で次男・忠信を出産。40代で家を出て新生活を始め、60代で画家としてデビューするなど、常に自分の意志を貫いてきた。そんな順子さんの20代から40代をダイジェスト記事でお届けする。
公園でビキニを着て日光浴する型破りな母親

18歳の頃、友人とディスコに行った帰り道、知人の借りているマンションで遊んでいた順子さん。そこで翌朝、後に結婚することになる男性と出会う。
順子さんは当時の様子をこう語る。「その場で、いきなり向こうが『付き合ってくれないか』って言うから、『いいよ!』って即答したのよ」
しかし、当時順子さんには別の恋人がいた。恋人は、順子さんいわく「中華街のちょっと悪いの」。彼女はその恋人のところへ一人で行き、別れを告げるが、その際に暴力をふるわれたという。「私一人で済めばいいかと思って、私一人でその男のところに行ってさ。その直後、友達の家に行ったら、驚かれたわよ。『あんた、何て顔してんの!』って(笑)」
結婚当時、順子さんは19歳、夫は20歳だった。「彼と付き合ううち、熱い性格に魅せられ、情が湧いてきて、あっという間に結婚したってわけ」と振り返る。

順子さんは子育ても型破り。息子たちが通っていた幼稚園の目の前にある根岸森林公園で、ビキニ姿で日光浴をしていたという逸話もある。
「欧陽菲菲みたいな髪形して、ちっちゃい三角形のビキニ着てさ(笑)」と順子さんは笑う。夕方、子供たちを迎えに行くと当時は幼稚園の先生に「あら、朝いらっしゃった時と色がまったく違うわ」と驚かれたという。
息子たちの反応も面白い。「ママ、やめてよ!」と真っ赤なスカジャンを着て小学校に行く母親に恥ずかしがる一方で、若い先生は「お母さんは、あのお洋服をどこで買ってるの?」と興味津々だったという。
順子さんの人生は、結婚後も波乱万丈だ。35歳の頃には、磯子で小さな喫茶店をオープンし、40歳からは、関内のバー「赤いチョッキ」で雇われママを始める。しかし、43歳の時、突然家を出る決断をする。その理由について、「何しろ、結婚するのが早かったからね。夫と一緒になって20年も経つし、もういい加減、家から離れてもいいんじゃないのって思ってさ」と語る。

常識にとらわれない生き方を貫いてきた順子さん。その姿勢は、息子たちにも影響を与えたに違いない。これからも、順子さんの型破りな生き方から目が離せない。
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浅野順子(あさの・じゅんこ)
1950年横浜市出身。ゴーゴーダンサー、モデルなどを経て結婚し、ミュージシャンのKUJUN、俳優の浅野忠信の2児を儲ける。ブティックやバーの経営に携わった後、独学で絵画を描き始め、2013年、63歳にして初の個展を開催。その後、画家として創作を続ける。ファッションアイコンとしても注目を浴び、現在は、さまざまなブランドのモデルとしても再び活動を繰り広げている。

2025.04.29(火)
文=CREA編集部
写真=平松市聖