がんで子供が産めない体に、それを知った夫の家族は…女優・原千晶(50)が涙した「義両親のあたたかさ」〉から続く

「子宮を全摘出した直後は辛かったです。本当に沢山のことを諦めました」――そう語るのは、かつて2度の子宮がんを患った女優の原千晶さん(50)。

 では、がんを患った人のその後は暗いのか…と思いきや、さにあらず。ここでは無事、難病から回復した彼女が出会った「新たな趣味」について紹介。今、彼女は何から「生きるエネルギー」を得ているのか?(全4回の3回目/最終回を読む)

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病気になってから多くのことを諦めた

――2度のがんを経験されたことで、働き方の変化はありましたか?

原千晶(以下、原) 最初にがんが発覚する少し前に、1年ほど仕事を休ませてもらった時期があったんです。休業期間はアロマの勉強をしたりしていましたが、また仕事がしたい気持ちが湧いてきて、「心機一転して頑張ろう」と思っていた矢先に子宮頸がんが分かりました。周りの関係者から「病気だから無理をさせないでおこう」と気を使われるようになり、扱いが変わったことで「私はもう芸能界の第一線には戻れないんだな」と。

 やってみたい仕事は色々とあったのですが病気のためできなくなり、すごく悩みました。それでも少しずつ、ドラマやバラエティ番組などに出演させてもらっていました。しかし、がんの再発が発覚し、身体的にも仕事面でも大打撃を受けました。ちょうど世の中でママタレブームが始まったタイミングだったこともあり、子宮を全摘出した直後は辛かったです。本当に沢山のことを諦めました。

 ただ、失ったものばかりではなく手に入れたものもあります。「よつばの会」で婦人科系のがんを患った方達と交流したり、がんについての講演会、コメンテーターのお仕事など、自分を表現できる場所がありました。私は喋ることが好きなので、自分にできることをやっていくしかないと思っています。最近では著名人ががんを公表することが増えましたし、皆が情報発信する機会がある時代なので、好きなことをコツコツやっていこうと思っています。

――原さんが今1番好きなことは何ですか?

 2020年に千葉県に移住したことをきっかけに、釣りにハマっています。『釣りバカ日誌』の浜ちゃんみたいに、釣りのことばかり考えて日々を送ってますね。

2025.02.14(金)
文=都田ミツコ