昭和の表現は肯定できても価値観は全肯定できない
――かねひささんは昭和の文化に傾倒しているようにお見受けしますが、芯に現代的感覚がしっかりあって安心します。
僕にとって昭和という時代は、その時代に生まれた表現を肯定できても価値観はちょっと全肯定できない部分があります。僕が好きなのは時代の価値観ではなくて、その時代が生み出した表象、表現、スタイルで、そういったものに、当時と違った時代にいる自分の感性がフィットしたんだと思います。
その上でその表現、様式をまずは再現してみる。現代においてその表現の裏にどういう歴史的な背景があるのかを知ることも重要です。文脈を切り離して上辺だけ真似するということはできないので。でも自分自身が「昭和」そのものにならないように気をつけています。
――昭和の表現でいえば、たとえば男女のイラストはかなりジェンダーが強調されて表れてしまうと思います。それを表現として再生産してしまうのは現代には沿いません。
そこは一番繊細に気をつけているつもりでいます。僕は過去の表現には興味があるものの、過去の思想には必ずしも賛同できないというジレンマを常に抱えながら生きている人間であるので、アニメーションや漫画においても、表現としては古典的なものを借用はするけれど、そこに置く根底の思想みたいなものはあくまでも自分の現代の価値観にし続けたいというところはありますね。
だからあらゆるハラスメント的な描写は作品の中では絶対に肯定的に描かない。露悪的な描写はしない。ブラックユーモアがいきすぎて誰かを傷つけかねない表現になっているとか、あるいは誰かを傷つけかねないことを避けることを冷笑するとか、そういう表現はいくら風刺といっても絶対にしないようにはしてます。いわゆる、マイノリティを茶化すとか、そういうことはしない。
あとはキャラクターデザインにおいて、性的魅力を強調して、それを見た他のキャラクターが興奮するような、それこそ僕がモデルにしてる昭和の漫画のスタイルによくあるようなものは意図的に出さないようにしてます。
――アニメの評論もされているので、昔の作品を現代の目線で見ることもできていらっしゃるんですね。
そうですね。僕は「ポパイ」「ベティ・ブープ」などの人気キャラクターを生み出したフライシャー兄弟の作品もすごく好きですけど、たとえばベティ・ブープはアメリカのある種のセックスシンボルとして描かれています。
ジャズ・エイジ特有の躍動感ある音楽で動くアニメーションは大好きなんですが、ベティが常に貞操の危機にさらされることを今笑い飛ばせるかというと難しいし、ジャズでいえば黒人差別のような問題も関わってくる。今の時代にそれらをどう見るかということは気をつけているところです。
――かねひささんは今の時代をどう見ていますか?
ポジティブな意味での価値観の変容は大きくあったと思います。虐げられていた人々が、自分たちの権利を獲得するなど、起こるべきだったことが達成されてきた部分はある。
一方で、ここ数年のバックラッシュがすごい。「あの頃は良かったよね」みたいな雑なノスタルジーとかナショナリズムによって、それが簡単に消費の対象になって分解されてしまうことに対してはすごく危機感を抱いていて、そういう混乱の時代ではあるかなと思ってます。
だからこそ、今だけを見る、あるいは過去だけを見る、未来だけを見るみたいなことではなくて、過去の歴史を改めて再確認した上で、過去・現在・未来の3つの時間軸に合わせた考え方をすることが大事なんじゃないかなと思ってます。僕の作品もそのための道しるべであってほしいという気持ちはあります。
――これからどういう作品を作っていきたいですか?
最近は子ども向けの作品にシフトしようと思っています。というのも、絶望を子どもたちに感じてほしくないわけです。「はいよろこんで」や『みんなのうた』で子どもたちにも僕の作品が届くようになり、彼らにまっすぐなメッセージを伝えたいと思うようになりました。たとえば見る人にとっては楽しく、気持ちがいいもの。見る人にとっては悲しみに共鳴できるもの。悲しみを讃えているように見えるけど、そこから先への希望も感じさせる二重構造の表現が誰かに届き、救いになってくれたら嬉しいです。
2025.01.25(土)
文=綿貫大介
画像=かねひさ和哉