この記事の連載
- 安達もじり監督インタビュ―【前篇】
- 安達もじり監督インタビュ―【後篇】
この映画の3つの柱
――映画の発起人である成洋さんからのオーダーはどんなものだったのでしょうか。
最初に成洋さんからいただいたお題は3つ。
・震災後30年のタイミングで公開する映画
・神戸を舞台にした物語
・心のケアをテーマにしたもの
というものでした。映画をゼロから作るのは私にとって初めての経験だったので、「こんなこと思ったんやけど、どうやったらできると思いますか?」っていう相談レベルから製作が始まって。今回は何かモデルのある話ではなかったので、神戸に暮らすいろんな方々に、とにかく話を聞いていきました。
――たくさんの「神戸に暮らす人々」に取材を重ねながら、どんなことを感じましたか?
安達 まず「震災後30年」が、どういうタイミングなのかをちゃんと考えようと思いました。神戸の皆さんのお話を聞いていくと、震災を経験した方々は会話中に「あれ震災前やったかな? 震災後かな?」というワードが普通に出てくるんですね。30年経った今でも。
一方、震災以降に生まれた若い世代と話していると、震災ってどこか「教科書の中の出来事」のような感覚を持っている方もいて。もちろん、全ての方がそうだというわけではないのですが。
こうした「温度差」や「隔たり」から見えてきた、いろんな感情をリアルに描けないかな、と思いました。「震災のことを語り継ぎたい」「語り継ぐべきだ」という考えの人たちと、それを受け取る側の人たち。当然なんですが、世代によって、状況によって、人によって、考え方も感じ方も違う。それを据えるなら、1995年のことを描くのではなく、いっそ「今の神戸と、この30年」を見つめる物語にしたらどうだろうと。
アウトラインが決まったら、「震災の年に生まれた人が主人公だったら、どういうことが起こるのか」という仮説をもとに取材を進めていきました。
中でも被害の大きかった長田区の方々に話を聞くと、街の特徴として、いろんなルーツを持った方々が共に暮らしている「多文化共生」みたいなものが見えてきた。これは現代的なテーマだなと。長田には世界の様々な国から来た方が暮らしていますが、主人公家族の設定はやはり、いちばん数が多く、長い歴史のある在日コリアンの方々のお話を題材に作るのがいいのではないかと考えました。
2025.01.17(金)
文・写真=佐野華英