ハマらない人が続出する“たったひとつの理由”

 SNSでも、「何を描きたいのかわからない」「雑」「つまらない」「そもそもギャル要素いらない」等々、厳しい意見が散見される。ところが翻って、ハマって観ている視聴者は、これとは真逆の感想を述べている。「『震災からの心の復興』というテーマに真摯に向き合って、丁寧に描いている」「このドラマを観るまでは正直、ギャルに偏見があったけど、ハギャレンのメンバーが大好きになった」といった主旨の感想が多く見られる。

 これほどくっきりと賛否が分かれる朝ドラも珍しい。その理由は、作り手が「あえて」やっていることが、キャッチできる人にとっては「ハマる要素」で、キャッチできない人にとってはつまらない、ということに尽きるのではないだろうか。

 このドラマは日常の描写を大切に、人物の心の中の出来事を慎重に、繊細に描いている。たとえば「糸島編」の第1週から第4週。震災のトラウマを抱えながら心に蓋をし、夢を持てず、平穏な毎日が続きさえすればいいと願っていた結が、ハギャレンのメンバーたちと出会う。姉の歩に対する複雑な思いも相まって、はじめは「ギャルなんか大っ嫌い」と拒絶していた結だったが、ハギャレンのメンバーたちのことを知っていくにつれて、少しずつ心を開いていく。

 そして結は、「過去に縛られず、今、この瞬間を思いきり楽しんで生きる」というギャルマインドに助けられ、本来の自分を取り戻してゆく。結と、震災の話をするまでに9年の歳月を要した米田家の人々の心情変化の過程を、腰を据え、時間をかけて描いた。こうして作り手が発した「震災で受けた心の傷は、簡単なことではない」というメッセージ。これがキャッチできない視聴者には「展開が遅い」「退屈」「つまらない」「ここまで尺取る必要ある?」と映ってしまうのだろう。

あの「朝ドラの金字塔」と共通する点

 この朝ドラは、偉人でも聖人君子でもない市井の人たちの行動や発言にこだわって作られている。キャッチーで“映える”「名言」めいたものは登場しない。本作の制作統括をつとめる宇佐川隆史氏はインタビュー(※1)で、脚本家の根本ノンジ氏が紡ぐ台詞について、《初稿から稿を重ねてブラッシュアップしていくうちに、どんどんシンプルに、力強くなっていく》と語っている。

 筆者はこの言葉を聞いて、「カーネーション」(2011年度後期)で主人公の祖母役を演じた正司照枝が同作出演中、常に心がけていたと語った「台詞の発し方」を思い出した。これは、「カーネーション」が朝ドラの金字塔となり得た理由のひとつを端的に言い表している。

 「なんでもない台詞を丁寧に。重要な台詞はさりげなく」

 大事なことは大上段に構えず、あえてさりげなく仕込む。「おむすび」もまさにこれを信条とした朝ドラではないだろうか。作品のタイプは異なるが、「カーネーション」も「おむすび」も、「ながら見」していては大事なことを見逃してしまう朝ドラだ。しかし、これまたキャッチできない人には「何を描きたいのかわからない」「前作の『虎に翼』に比べて浅い」と言われてしまう。

 どんな朝ドラ、どんな主人公があってもいいと思うのだが、「朝ドラの多様性」への理解への道程は、まだまだ遠いようだ。しかし「平等と多様性」を訴えていたはずの朝ドラを熱心に観ていた視聴者が、「何者でもない市井の人々の日常」を描いた朝ドラを思いきり偏見で断じるのは、どういうわけだろうか。

2024.12.27(金)
文=佐野華英