この記事の連載

 日々激変する世界のなかで、わたしたちは今、どう生きていくのか。どんな生き方がありうるのか。映画ライターの月永理絵さんが、映画のなかで生きる人々を通じて、さまざまに変化していくわたしたちの「生き方」を見つめていきます。

 今回は、1月10日から全国公開される映画『エマニュエル』のオードレイ・ディヴァン監督に注目。

あらすじ

香港の高級ホテルにサービスや設備の品質調査をしにやってきたエマニュエル・アルノー(ノエミ・メルラン)。依頼主であるオーナー企業が彼女を送り込んだ本当の目的は、ホテルの支配人マーゴ(ナオミ・ワッツ)を失脚させることにあった。策略に巻き込まれたエマニュエルは、ホテルの裏側を探るうち、奇妙な滞在客ケイ・シノハラ(ウィル・シャープ)やコールガールのゼルダ(チャチャ・ホアン)と出会い、彼らの怪しげな挙動に魅入られていく。『あのこと』のオードレイ・ディヴァン監督が、エマニエル・アルサンの官能小説「エマニエル夫人」を映画化。


「1974年版の『エマニエル夫人』を見たことがなかったんです」

 先日、東京国際映画祭にあわせて来日したオードレイ・ディヴァン監督にインタビューをした際、まず尋ねたのは、1974年に一度作られた『エマニエル夫人』をなぜ再び映画化しようと考えたのか。質問に答える前に、監督はまず笑顔でこう前置きをした。「実は1974年版の『エマニエル夫人』を見たことがなかったんです。映画化の企画を聞いたあと、初めて見てみましたが、開始から数分で止めました。わざわざ見る必要がないなとわかったので」。

 監督のきっぱりとした言葉に、驚くと同時に拍手を送りたくなった。今見ると明らかに女性差別的で植民地主義的な内容を含む以前の『エマニエル夫人』を監督はどう考えているのか。そんな私の疑問に対する見事な返答だった。前作のことなど気にする必要はない、そんなもの潔く無視しましょう。同じ原作をもとにしながらも、これは前作とは何の関係もない、まったく新しい映画なのだから。

 新しい映画において、ノエミ・メルラン演じる女性はたしかに「エマニュエル」ではあるものの、実際にその名前が呼ばれることは一度もない。名前が発せられるのは、ホテルのスタッフから「ミズ・アルノー」と呼ばれるときだけ。あまりにも有名な彼女の名前をあえて呼ばせないのは、ここに映るのは、家族や友人の前で見せる「エマニュエル」としての顔ではなく、仕事の場で見せる「ミズ・アルノー」としての顔だ、ということだろう。そもそも、彼女が結婚しているかどうかや性的指向といった、私生活を匂わす要素は、この映画ではほとんど何も見せてはくれない。

 一方で、日常での彼女のあらゆる姿を私たちは目撃する。食事をし、プールやスパでリラックスし、バーで酒を飲み、ベッドで眠る。でもそれらは私生活とはいえない。ホテルという非日常的空間で、仕事として日常を過ごす彼女にとって、「私」と「公」との区別はきわめて曖昧だ。

 日常行為のすべてが仕事に結びついている彼女にとって、セックスをする時だけがつかのまの休息ともいえる。どこにいようとエマニュエル・アルノーは積極的にセックスの機会をものにしていく。けれど、行為の最中でさえ、彼女の顔には悦びやリラックスした様子は認められない。退屈しきったその表情から、彼女がある種の不感症に陥っているのがよくわかる。

2024.12.28(土)
文=月永理絵