一言で述べよう。それは「動機」である。この小説で最も重要な要素は、なぜ犯人が殺人を犯したのか、という動機なのだと私は思う。確かに「作家アリス」シリーズを通して火村は動機を必ずしも重視しないスタンスをひようぼうしてきた。探偵の仕事はあくまでもフーダニットとハウダニットであり、ホワイダニットはその後についてくるのだと。だが、この事件の核心は、誰が、でも、いかにして、でもなく、どうして、なのである。それがどのようなものなのかも、ここでは書かないでおく(本編を読む前に解説をのぞく方にはネタバレ回避のために、すでに読了された方には言わずもがなということで)。だが、ひとつだけ記しておくならば、本作は、非常に繊細な、複雑さと深さと、そして残酷さをも兼ね備えた「恋愛ミステリ」である。人が人に対して抱く強く淡い(強さと淡さは両立する)想いを、ミステリという形式だからこそ可能なやり方で、しかし恋愛を題材とするミステリがおちいりがちな紋切型を退しりぞけつつ、見事に描いてみせた作品だと私は思う。そして結末からかえりみてみれば、そんな感情の姿もまた、伏線と呼んでもよい幾つもの細部、人物のちょっとした台詞や振る舞いによって、実は物語の早い段階からされていたことがわかる。「ミステリという形式だからこそ可能なやり方」とは、そういう意味である。

 単行本の刊行時にも話題になったが、本作では冒頭まもなく「特殊設定ミステリ」ブームへの言及がある(いささか驚くことに、それは今も続いている)。これは作者自身の意見表明と言っていいだろう。そこでは「特殊設定ミステリ」は優れた作品も多く読者の幅を広げることにも貢献していると肯定的に評価しつつ、自分自身は「ミステリはこの世にあるものだけで書かれたファンタジー」だと捉えているので軸を異にすると述べ、荒唐無稽だがルールが明確な「特殊設定ミステリ」の流行は現実世界の不安定さ不確実さと裏腹なのではないか、コロナ禍ではなおさらのこと、という考えを提出している。私もその通りだと思う。本作はまさに「この世にあるものだけ」で書かれている。「ファンタジー」という語の意味も単純ではない。本作もファンタジーなのだとしたら、それはどういう意味なのか、読者も考えてみていただきたい。

 尚、二〇二四年八月に本作に続く「作家アリス」シリーズの新作にして「国名シリーズ」第十一弾に当たる長編『日本扇の謎』が刊行されている。これまた「この世にあるものだけで書かれたファンタジー」としてのミステリの傑作である。

捜査線上の夕映え(文春文庫 あ 59-3)

定価 1,034円(税込)
文藝春秋
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2024.11.26(火)
文=佐々木敦(批評家)