コロナ禍で外出もままならない日々に倦み、ひとりで大阪駅まで出てビルの五階から夕映えを見たりしていた小説家の有栖川有栖は、やはりコロナで大学がリモート講義になってから下宿に引きこもっていた英都大学准教授の犯罪社会学者、火村英生が警察からの協力要請を承けたことによって、久々の「フィールドワーク」(と称した犯罪捜査)に赴く。迎えるのは過去作でもお馴染みの大阪府警の面々、船曳警部、鮫山警部補、繁岡刑事、森下刑事、そしてコマチこと高柳真知子刑事ら。捜査と推理の焦点となるのは、防犯カメラの映像と、被疑者たちがそれぞれ主張するアリバイである。ここに「旅」が関わってくる。被疑者の何人かは犯行が可能だった時間には遠方に旅行に行っていたと主張する。そこで火村とアリスは犯人のアリバイ工作を見破るべく颯爽と旅立つのかというと、そうはならないのである。物語の後半、確かに二人は小旅行をするのだが、それは被疑者たちのアリバイとは関係がない。しかし、そこから先が実は本作のクライマックス(この言葉に反してそれはとても穏やかで牧歌的なシーンだが)なのである。
初読の私自身がそうだったのだが、読者のほとんど、いや全員が、第五章の第3節の末尾で驚くに違いない(私は声を上げてしまった)。ひとりの登場人物についてのある事実が明かされるのだが、それは本作において最も意外性を持っていると言っても過言ではない。完全に虚を突かれ、果たしてどういうことかと思っていると、そこから物語は大きく旋回してゆき、この小説がどのようなものなのかという真相ならぬ真実を露わにしていく。そしてそれに伴って事件の真相も明らかにされるのである。その真相もかなり意外なものだが、この小説を純然たる「本格ミステリ」として読もうとした場合、疑問や不満を持つ読者もいるかもしれない。有栖川有栖のミステリはいつも堅牢な論理性に支えられているが、この小説のたったひとつの事件は、犯行が不可能だった被疑者を除いてゆく消去法でも、犯行方法が可能だった者を導き出す演繹法でも真犯人を指摘できない。先に述べた後半の展開に至るまでは、与えられた条件のみでは、誰がやったとしても矛盾や穴が生じるようになっているのだ。それを解決するには第五章第4節以降ではじめて読者に知らされるエピソードがどうしても必要であり、そして作中でアリス自身も語っているように、それを知った瞬間に犯行の方法と真犯人が同時に明らかになるのである(実はこの点について作者は非常に早い段階で一種の伏線を打っているのだが、ここでは触れないでおく)。敢えて述べるなら、本作は「本格ミステリ」ではない。今回ばかりは作者の意図は別のところにあったのだと私は思う。ではそれは何だったのか?
2024.11.26(火)
文=佐々木敦(批評家)