そのほか、あの環境下では比較的広いスペースだった両方の太ももの上に「区間新記録が出るときのペース配分」や「この大学がシードを獲ったら何年ぶり何度目になるか」などのデータ資料を貼り付け、首には自分でタイムを計測するためのストップウォッチを7~8個ぶら下げて……。大人用の紙オムツをすることも勧められましたが、どうしても集中できない気がしたので着用しませんでした。その代わりに、前夜9時以降は水分をとらず、当日の朝も、お茶でうがいをして口の中を湿らす程度で臨みました。

 今はずいぶん中継用のバイクもハイテク化が進んで、通過順位やペースなどのデータが表示されるモニターもありますし、資料を入れるスペースもできて環境が整っています。でも当時は何もかもが手探りで「パイオニア(先駆者)としてよくやったね」と言われると、ふつうは謙遜するところなんですけれど、「いや、本当にそうなんですよ」っていつも言っています(笑)。

 実況で印象に残っているのは、2012年の第88回大会、復路の鶴見中継所でのタスキリレーですね。神奈川大学が何とか繰り上げスタートにならずに済むと思っていたら、中継所の直前で何と繰り上げまで残り10秒で転倒、立ち上がるも更に中継所の手前10mで2度目の転倒。残り5秒、4秒、3秒・・・しかし執念で、繰り上げまで残り0秒でタスキを繋いだシーンです。20キロ以上走ってきて、まさかこんなことが中継所の直前、私の目の前で起こるとは……。今でも忘れられないシーンです。

 

録音するブース内で涙を流しながら原稿を読んでいた

――町田アナウンサーは日本テレビの公式HPの「リレーエッセイ」の中で、若い頃に比べるとご自身が涙もろくなったと書かれています。

町田 20代、30代の頃の実況は、いま目の前で起きていることをどう伝えたらいいのか、どういう言葉がふさわしいのか、そういうことにすごく頭を使っていたので、特にスポーツ実況では目の前の出来事に対して自分の感情を置き去りにして、変に冷静になっていたんです。だけど最近は、箱根駅伝100回記念のナレーションを担当したときも、感極まってナレーションを録音するブース内で涙を流しながら原稿を読んでいました。

2024.11.23(土)
文=町田浩徳