小説に現実があっという間に追いついてきた

 テクノロジーが人々を支える劇中の社会は、現在の私たちが暮らす世界と遠くない。一見、利便性が高い社会で、格差や貧困による分断が深まっている様子も同じだ。平野の原作の要点を、石井は「非暴力的な振る舞いのなかで人間の存在がないがしろにされてゆくという、可視化されづらい現実を描いた小説」と捉えた。

 原作が連載されたのは、2019年9月から20年7月までの1年間。「それから現実があっという間に追いついてきた」と池松は振り返る。

「去年(23年)はChatGPTの登場で“AI元年”と言われましたが、ちょうど撮影準備をしていたときに、中国のネットユーザーが亡くなったおばあちゃんのAIアバターを作ったと報じられ、Appleもゴーグル型の端末を発表しました。そうした中、この映画を早く世に送り出さなければと焦る気持ちもありました」

「身体」があることによる葛藤

 かたや、石井は「近未来が舞台だからこそ、“愛”や“孤独”というテーマがむしろ生々しく見えてくるのが原作の面白さ。映画として捉えるなら、『身体』というタイトルでもいいように思いました」と解釈を明かす。

 池松が演じる朔也は、依頼人の注文で「リアル・アバター」として汗を流しながら街を走り回り、自らの体臭を意識する。また、幼なじみの岸谷(水上恒司)や、母の親友だった三好(三吉彩花)との物理的・精神的な距離に葛藤する。朔也に「身体」を与えた池松は、内面をこう分析した。

「朔也は自分自身が曖昧かつ不確かで、まるで自分が存在していないような、時には消えたいような思いがある。それでも彼には今まだ肉体、実存があり、周囲の人や世界に触れることができる。朔也を演じるうえでは、自分の肉体によって感情を生み出し、そこから溢れてくるものでスクリーンを満たしたいと考えていました」

 

「今の日本には、大きな映画の不在を感じます」

 昨年8月に所属事務所を独立して1年。この秋には『本心』のほか2本の出演作、『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』と『ぼくのお日さま』も公開される。ジャンルを問わない作品選びだが、意外にも「自分の興味や関心はむしろ狭いと思っている」と言う。「自分の中だけから出てくる表現はもう終わって、今は社会との繋がりの中での映画の多様性に目を向けているんだと思います」

2024.11.19(火)
文=稲垣貴俊