最初の出場のときにも、陸上部OBがカンパでのぼり旗を100本作ってくれましたが、さらに2回目のときは大学側が追加で100本と、カンパで大きな横断幕を2つ用意してくださって。それを持って、学生部や学生部長、学長まで沿道に来て応援してくれました。
当日、6区のコースだった函嶺洞門を抜けたところにある崖に、「夢をありがとう 川内優輝」と書いてある横断幕を見つけたときには、涙が出るくらい嬉しかったです。最後までもうひと踏ん張りするための元気をもらいましたし、大学全体が、初めて箱根路を走ったということをこんなに誇りに思ってくれているんだということがありがたかったですね。
――陸上部のチームのみなさんの反応はいかがでしたか?
川内 『俺たちの箱根駅伝』にも弱小校出身のメンバーが描かれますが、当時の学習院はその比ではないほどでしたね。箱根駅伝の予選会に出場するには、エントリーメンバー全員が5000m、10000mで規定内の公認記録を持っていなければなりません。記録会で最後のメンバーがそのタイムをクリアできたら、胴上げして喜んでいました。
僕の一つ上の先輩方は人数も多かったのですが、先輩方が抜けてから4年生の時も予選会出場が難しい状態で。しかし新入生が5人入ってくれて、僕も公務員試験中だったんですが、埼玉県庁の1次試験の前日に記録会でペースメーカー役で引っ張って走ったり……当時、5000mを17分以内というのが規定だったんですが、それを最後の子が16分59秒76、と小説みたいなタイムで切ってくれたんです。
箱根駅伝の予選会本番でも、途中棄権などが出てチーム記録が残らなかったら学連選抜にも選ばれないと言われており、10人が完走してタイムを出さないといけない。件の子は腰を痛めていて、コルセットを巻きながら走るような状態だったのですが、それでも頑張ってゴールしてくれた。そのおかげで僕は学連選抜のメンバーとして出場することができました。
2024.09.25(水)