8月に新刊『マザー』を上梓した乃南アサさん。次々と傑作を世の中に生み出す原動力はどこにあるのでしょうか。乃南さんの日常を垣間見ることができる執筆スタイルや、愛猫との暮らしについてもお聞きしました。
「バケツの数だけ、人の人生があるのだろうな」
──新刊『マザー』は知人の体験談に着想を得たということですが、テレビのニュースや事件などを参考に小説を書かれることはありますか?
ありません。すべて創作です。ただ、いつも通るマンションの前で、管理人さんらしき方が大きなバケツをいくつも洗っている姿を見たときには、「バケツの数だけ、人の人生があるのだろうな」と考えました。そんなふうに、「あのとき、そういえばこんなことがあったな」「こういう景色を見たな」というのは、今作の中にもエッセンスとして入っていると思います。
──乃南さんはプロットも作成されないのですよね。
はい、プロットは昔からずっと作っていません。というより作れません。
デビューして1年くらい、ずっと「プロットを作ってください」「まず梗概を書いてきてください」と言われてきましたが、私はプロットを作成するのにすごくエネルギーを必要とするので、それで本文が書けなくなってしまうのです。
それに、物語のあらすじは、「次はどうなるんだろう」というワクワク感がないと、書いていてもちっとも面白くないので、書けない。それに気づいたので、それ以降プロットは作成せず、物語の展開を登場人物任せにして小説を書いています。
──では、小説を書くときには、まず登場人物像をしっかりと設定されるのですね。
そうです。ひとりかふたり、物語の軸になる人物が出てくるのをまず待ちます。その後は、出だしのシーンか、ラストシーンのどちらかが出てくるのを待てば、登場人物がなんとなく動き出してくれます。
たとえば、1964年の東京オリンピック前後の時代を背景に描いた『涙』という小説には、当時まだアメリカ統治下だった沖縄県の宮古島を大型台風が襲う話が出てきます。これは、プライベートで宮古島を訪れたときに、宮古島が「宮古島台風」「第二宮古島台風」「第三宮古島台風」と名前のつくほど、台風の大きな被害に見舞われた歴史を知ったことが物語の決め手となりました。
調べていくと、1966年の第二宮古島台風では、半数以上の住家が損壊し、さとうきびの7割が収穫不能となるなどの甚大な被害が出たといいます。この台風シーンをラストにもってきたいと考え、そこからの逆算で登場人物に動いてもらい、物語を完成させました。
2024.09.12(木)
文=相澤洋美
写真=深野未季