この記事の連載

 8月に新刊『マザー』を上梓した乃南アサさん。「母」という肩書をもつ女性の“本当の姿”を丹念に描き出した、渾身の連作短編集です。昭和から平成、令和と時代も価値観も目まぐるしく変わるいま、母親と家族をどう描いたのでしょうか。


家庭の数だけ闇があるのではないか

──今作では5通りの「母親像」が描かれています。なぜ母親をテーマに小説を書こうと思われたのでしょうか。

 今作は、知人との雑談の中から着想を得たのが、執筆のきっかけとなりました。

 「こんなことがあってね……」と伺ったお話の中に、私の心の琴線に触れるものがあったのです。思わず「いまのお話を、小説に書かせていただけないでしょうか」とお願いしました。

 こんなことは私自身初めてのことでした。知人も非常に驚き、迷っていたのですが、1年くらい経過した頃に、「そういえば、いつかの小説のお話、書いてもいいですよ」とご許可をいただき、書かせていただくことになりました。

──なぜ、その方のお話が乃南さんの心に響いたのでしょうか。「小説に書きたい」と思うほどの熱意がなぜ湧いたのか教えてください。

 単純に怖かったからです。とにかく、衝撃的でした。

 その知人とはかなり長いお付き合いで、若い頃からいろいろな話を聞いてはいたのですが、ついにクライマックスを迎えたかのような恐ろしさがあり、その恐怖を言葉で残しておきたいと思ったような気がします。自分でも「これがノンフィクションだったら嫌だな」と思うほど、ぞっとする話ができました(笑)。

 普段親しい間柄であっても、なかなか他人のご家庭の事情まではわかりませんよね。私自身、身近にこんな思いをしている方がいたのかという怖さと驚きのほか、家庭の数だけきっといろいろな闇があるのではないかと改めて感じた瞬間でした。

 今作を上梓する前は、台湾の紀行エッセイ『美麗島プリズム紀行―きらめく台湾―』や、約140年前に北海道の十勝開拓に挑んだ人々の姿を描いた『チーム・オベリベリ』など、綿密な取材や資料を積み上げて作り上げた作品が多かったので、日常の中の、しかも家庭という閉ざされた空間に目を向けて作品を作るのは久しぶりで楽しかったです。

──“ひとりの女性”ではなく“ひとりの人間”として描かれている母親像には、戦慄を覚えながら、共感するところもありました。例えば、ほのぼのとしたマンガに登場するような理想的な家族の風景から始まる「セメタリー」の、母親が子どもたちへ「自由に生きなさい」と語りかけるシーンには、読後いつまでもねっとりとした重みがつきまといました。

2024.09.12(木)
文=相澤洋美
写真=深野未季