このごろね、もうだいぶぼけてましてね、前のインタビューで何をしゃべったか忘れてしまっているんです。何か評判がよかったというお手紙をいただいたけど、何をしゃべったか本人は忘れてしまってるの。

 佐藤愛子さんのインタビュー「佐藤愛子ぼけていく私。――100歳の作家が至った境地」が週刊文春WOMAN2024春号に掲載された。「半分ぼけかけている」と言いながら、ユーモラスに分析的に己を語る佐藤さんに、幅広い世代から反響があった。そのことを伝えるファックスを送った担当者に編集長も加わり、「日々の暮らしをもっとうかがいたい」と再訪した。お話の一部を『週刊文春WOMAN2024夏号』より一部編集の上、紹介する。

「わがままですから。長生きの秘訣と言われても、それがすべてですよ」

 日々の暮らしといっても、もう間もなく棺桶に入る、そういう日々ですから。お話しするっていっても、同じことばっかりでしょう。

 100歳の話を聞くとなったら、「会話は交わしているけれど、この人はどこまでわかっているだろう?」と思いながら聞いているでしょ。答える方もね、ちゃんとした答えになっているかどうかわからず、自分の思うままに当てずっぽうでしゃべっているんです。その当てずっぽうが好評だったとしたら、そんじょそこらにはないものだったということですよね。だけどそれは、ほめられることでもなんでもないですよ。

 好評の一番のポイントは、カラッと明るく“説教成分”がないこと。そう伝えた。「このように生きよ」と“知恵”が多めになりがちな長寿者インタビューと対照的だからだ。

 ああ、なんか教え諭すという感じですか。でもそれは、(長寿者が)こういう形で出る場合、慣れてない方は何かを教えなくてはいけないと思うからじゃないでしょうか。私はそういうことを言う資格がないんですよ。私のようにすると、ろくなことがない。それなら言えるんです。

 わがままですから。長生きの秘訣と言われても、それがすべてですよ。人にどう思われるかなどと考えているとだめですね。だから(前回の記事は)縛られて生きてきてうんざりしている人たちには、爽快で気持ちよく読めた。それだけのことですよね。

2024.07.05(金)
文=矢部 万紀子