内田 窪島さんは、生まれた3週間後が真珠湾攻撃だったそうですね。よく「無言館は反戦や平和を訴えるために建てたのではない」と発言され、自伝的小説『流木記』には「画家には二つの命がある。一つはナマ身の命、もう一つは作品にこめられた命」と書かれています。つまり作品がこの世からなくならない限り画家は死んでいない。だから、あまりにも若くして戦火に散った画学生たちの「もう一つの命」を守るために建てたのですね。

窪島 自らも東京美術学校(現・東京藝術大学)を繰り上げ卒業させられて召集され、戦地から復員された、現在101歳で現役の洋画家である野見山暁治さん(2023年6月に逝去)が、「このまま戦死した画友たちの絵が霧散してしまうのが口惜しい」とぽつりとおっしゃったのを聞いたのがきっかけでした。まもなく戦後50年を迎える頃のことで、今から収集して保管すれば、散逸を防ぐのにまだ間に合うんじゃないかと思いました。

 

樹木希林が突然現れ「会いたかったのよ、あなたに」

内田 画学生たちの遺した絵の収集に、3年半かけて全国を行脚されました。

窪島 最初は野見山先生と一緒に訪ね歩きました。当時、先生は72歳、僕が51歳。後半は僕ひとりで。ご遺族から絵を預かるだけでなく、画学生の思い出話を伺うんです。出征の朝、「あと5分」「あと10分」とキャンバスに向かい続けた人、誰にも告げずにひとりで出征した人……涙なしでは聞けないエピソードが山のように集まりました。

内田 窪島さんの執念ともいえる取材力ですね。今日は無言館でイベントがあって大勢の方が集っていました。窪島さんは御年80歳。拝見していると、同年代ぐらいの方から話しかけられると話があまり続かない。でも、若い人とは同じぐらいのテンションとノリでポンポンポンとお話が弾んでいました。その差がとても興味深いです。

窪島 若者というのは、まず予定調和しないでしょう。「いやー、いいお話でした」とか、そういうのがない。でも年を取るほど言うんです。年を取るということは、たいていの人は一つずつ何かを着込んでいくんですけれど、僕の場合は脱いで裸になっていくような感覚があるんですよね。裸になっていく人のほうが話が弾みます。あなたの母上もそういう人でしたね。

2024.06.25(火)
著者=内田也哉子