とはいえ、ねだったところで親はほいほいと買い与えてくれない。父は両替商として頭角を現し、紀州指折りの資産家になりつつあったが、商家の多くがそうであったように倹約を旨としていた。子どもが高価な類書をねだるなどもってのほか、という考えである。
そこで熊楠は、近所の本屋で立ち読みし、記憶して帰り、自宅で適当な紙に書き写すことにした。文章や絵図をまるごと暗記するのは、さしたる苦労ではなかった。こうして、熊楠は「抜き書き」という術を身につけた。書き写す作業は知識の定着を促し、さらには己だけの類書を作ることにもなる。
和歌山中学へ進学した翌年には、級友の家にあった『和漢三才図会』百五巻をまとめて借り出すことに成功した。寺島良安という医師が江戸時代に編纂した類書であり、植物や動物、虫や魚、天文や地理、道具に衣服と、その名の通り三才、すなわち天地人に関するあらゆる事項が記されている。
声を静めるためにはじめた勉強だが、いつしか、目的は知識を得ることそのものに変化していた。知らぬことを学ぶと、頭の中身が拡張し、充実する。草花の名前や生態を覚え、古の伝承を知るたび、世界がよりきめ細かく、鮮明に見える。この光景は己だけが見ているのだと思うと、蕩けるような優越感で胸が満たされた。
――学問は、なんと快いもんじゃ。
世界について知ることは、熊楠にとって飢えを癒すことと似ていた。目の前に蜜柑があれば、自然に手を伸ばすのと同じことだ。ただし蜜柑と違って、知識は無尽蔵に詰め込むことができた。
熊楠は、脳内で響く無遠慮な声々を「鬨の声」と名付けた。
きっかけは『太平記』だった。畳に寝転んで幾度目かの通読をしている最中、やたらと兵たちが鬨の声を上げていたのだ。名前をつけると、奇怪な声々も少しだけ身近に感じられた。
一方で、どんな類書を読んでも、「鬨の声」が聞こえる理由は判明しなかった。『和漢三才図会』には経絡部や支体部といった人体についての項目があるが、熊楠の現象に合致するものは見当たらない。
落胆しつつも、それとは別に理解したことがあった。
――我もまた、世界の一部じゃ。
類書のなかでは、人間も動物も植物も、等しく一部門として扱われる。つまりは人間自体が特別な存在ではなく、この現世を構成する一要素に過ぎないということだ。
己は何者か。その謎に答えるための術が、自然と浮かび上がってきた。すなわち、我を知るためには世界を知ればよい。世界を知り尽くせば、己の正体もおのずと浮かび上がる。熊楠は、なぜ自分が世界に関する知識を欲するのか、おぼろげながら理解しはじめた。
――詰まるとこ、我は我のことが知りたいのや。
われは熊楠
定価 2,200円(税込)
文藝春秋
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2024.05.28(火)