「うわぁ! 良かったぁぁ!」「ほんにこないに近くでお顔をみられるとは……長生きしてよかったわぁ!」手を振っていた女性、手をあわせていたお年寄り、スマホを向けるのに夢中だったヤンママ、みな反応は様々だったが、一様に感動と興奮を隠せないでいた。
春の便りを両陛下が運んでくださった
能登にも少し遅れたが春が訪れたのである。その便りを両陛下が運んでくださったのである。
両陛下は穴水町を訪問された後は能登町に自衛隊ヘリで移動、そこでも避難所や被災地を訪れ住民や復旧復興、人命救助にあたっていた消防や医師団の方々まで励まされた。
丁寧にゆっくり被災地を回られる両陛下の前に不肖・宮嶋も次に訪問される能都町の松波中学校に駆けつけることができた。いまだ避難所となっているこちらの松波中学校には両陛下は行きと帰りで2度訪れるため、穴水町役場より多くの住民がここには押し寄せていた。やはりほとんどが地元松波地区の住民ら。両陛下がお乗りなった車列が通る道のりも地震のためアスファルトがはがれいまだ地割れが牙をむいている、まさに文字通り足下悪いなかをお越しになられた。
日中は汗がにじむほど暑かったが、それでも日が落ちると、やっぱり4月の奥能登はまだまだ肌寒い。それでも両陛下は開け広げた窓から吹き込む寒風をものともされず、住民に向け手を振りつづけられた。両陛下のお顔が少し赤みを帯びられていたのは沈みかけた夕日のせいばかりではなかろう。
両陛下は日が暮れてからも住民を励まし続けられ、再び自衛隊ヘリでのと里山空港へ移動され、特別機で帰京されお住いの赤坂御所に戻られたのはその日の夜10時ごろになってからという。
不肖・宮嶋にとっても初めて被災地でお目にかかった両陛下である。しかも手を伸ばせば届きそうな距離で、そこで拝した両陛下の住民との触れ合いは、代表取材で避難所でお目にかかるお姿より、さらに身近に感じられた。
そのお姿を一目見られただけで住民は3カ月前の恐怖やこの3か月間の苦難をたとえひと時だけでも忘れさせていただいたばかりか、これからの復興への大いなる励みとなったことは間違いない。
撮影 宮嶋茂樹
2024.05.14(火)
文=宮嶋茂樹