と、同時に彼が言ったことがあります、「もう世間には出ません」。これはねえ、本心だと思うんです。一生懸命、皆さんの前で色々とご説明をしてもね、結果としては「嘘」になるわけでしょ。その愚行を繰り返したくない。本人としてはその気持ちだと思います。で、しかたがないから、それに関しては、僕が引き受けてやっているような次第です。
大叔父の「受け継いで」を眞人が拒否する意味
——NHKのドキュメンタリーでも高畑勲さんへの思いがすごく滲んでいたかと思うんですけれども、そのあたりの高畑さんへの思いがあれば教えてください。
鈴木 やっぱり宮﨑にとってはね、ウン十年にわたるアニメーションの仕事なんですけれども、自分をいちばん最初に抜擢してくれたのは高畑勲だったんです。なおかつ、やっていく中でいろんな関係が生まれたんですよね、要するに「仕事仲間」であったし、「先輩」であったし、そして「友達」でもある。宮﨑はいまだに言いますけれども、「自分がいちばん影響を受けた人だ」と。だからこの作品を作っている途中で高畑勲は亡くなっちゃうんですけれども、まあその前からだったんですけども、僕と会うときには必ず高畑勲の話が延々続いたんです、いまだに言ってますね。だからね、どこかでそれを引き摺りながら作品を作ってるみたいなところがあるんです。
だから今回の作品のなかで「大叔父」っていうのは高畑さんを想定して作ったキャラクターでね。これで、大叔父が言いますよね、「自分のそれ(仕事)を受け継いでくれないか」と。それを拒否する眞人っていうの(主人公)がいるんですけど、あれは(高畑氏が)亡くなってから初めて言えたんですよね。そんなふうに解釈していただけると、わかりやすくなるかと思います。
——今日も宮﨑さんはアトリエにいらっしゃる。筆を執っていない宮﨑さんっていうのが想像できないんですが、今は何をしていらっしゃるんですか?
鈴木 あのね、パノラマボックスっていうのがありましてね。これは美術館とかジブリパークのほうで展示するものなんですけども、ご承知のように、美術館にせよ、ジブリパークっていうのは息子の宮﨑吾朗君が手がけているんですけれども、彼の発注で、そのパノラマボックスの絵を描き続けていますね。それで映画が終わってからけっこう時間が経つんですけど、2年近く経つんですかね。自分の作ってきた作品を、1個1個それにまとめてますね。それで先般、「君たちはどう生きるか」を、美術館で展示をやったんですけども。その1個がそこに展示してあったと思うんですけれども、今後彼の作ったそのパノラマボックスが、いろんなところに出て行くと思います。その彼の絵は、衰えを知らないですね。この人はものすごい元気なんですよ。なんだか知らないけども、身体はね。たぶんねえ、死ぬ最後の日まで、衰えないんじゃないかなあ。で、たぶん最後の1日で、一気に歳を取る。そんな気がしている毎日です、はい。
2024.04.11(木)
文=「文藝春秋」編集部