――佐藤さんの口から出た「ありのままで」。『アナと雪の女王』のそれとはだいぶ違うはず。100歳の「ありのままで」をもっと知りたくなって、どんな気持ちなのかとさらに聞いてみた。
毎日していた習慣をしなくても平気に
例えば今日インタビューがあって、お客さんがいらっしゃるということになったら、「お菓子ある? お茶菓子ある?」と家の者にちゃんと聞いて、用意してあると聞いて安心する。そういう習慣のようなものが身についていました。それが今は、「なければなくてもええわ」って、そんなふうになっちゃいました。
毎日のように訪ねてくれる人がいたときは、部屋は暖まっているだろうか、散らかっていないだろうか、とあちこちに気がいきました、若いときは。それが今は、寒ければ寒いって言うだろうって(笑)。
昔の人は習慣がたくさんあったのね。朝起きたらお日様を拝むという習慣を、死ぬまで続けた老人がいましたよ。神棚を毎日拝むっていうのは、私がしていた習慣です。昔はしなければ、気持ちが悪かったの。それが今は、しなくても平気っていうふうになりました。今、お話ししていて気づきました、全く拝んでいないなって。
――もちろん来客用のテーブルには、お孫さんが運んでくれたお茶菓子とお茶が並んでいる。「もらい物があると聞いて、それならそれでよろしいと」というのが、佐藤さんの解説だ。
「ありのままで」と「開き直り」の違い
人との付き合いにうるさい人は、私たちの年代にいたんです。お客さんにはこうしろとか、人との付き合いはこうだとか、心得ておかなきゃならないことがあって、それにうるさい人。でも長いこと生きていると、だんだん「まあ、ええわ」になって、それでいいおじいさん、おばあさんになる。うるさくないから。だから、こういうあり合わせのお菓子(笑)。
あっちこっちに気がいっていたのが、それはもうどうでもよくなる。もうばあさんで、半分ぼけたようなばあさんになりかけているから、それで相手は許してくださるだろう。そういう甘えがありますね。年を取ると、甘えても許されるっていう感じになっていくの。これはまあ、悪くないっていう境地なんですよ。
2024.04.07(日)
文=矢部万紀子