しかし、「推し」は性加害で逮捕されてしまう

 『成功したオタク』の監督のオ・セヨンは、まさにその「バーニング・サン事件」のグループチャットに参加していたミュージシャンのファンであった。彼女は、その「推し」に認知もされているようなファンで、いわゆる「成功したオタク」の一人だった。

 しかし、「推し」は性加害で逮捕されてしまう……。

 彼女の場合も『推し、燃ゆ』のように、「推し」は自分の「背骨」のようなものだったからこそ、傷つき怒りを覚えた。彼女の友人のひとりは、推しに対して「一生刑務所から出てくるな。女性たちをダマす男なんて人間じゃない」と怒りを露わにしていた。

 私もそこまで熱心ではなかったが、スンリ(V.I)のいたBIGBANGのファンであった。だからこそ、この事件が明るみになったとき、スンリのことを単なる面白いマンネ(一番年下のメンバー)だと思っていた自分の見る目のなさを恥じる気持ちもあったし、そんなスンリに気付かずにグループを応援していた自分が、スンリの罪に対して何を言えるのかと思う気持ちがないでもない。

 しかし、表では明るく三枚目風にふるまいながら、裏では性加害をするような人のことを、「芸能界」というフィルターで隠していたのであり、表に伝えられる要素で100%その人を理解できるわけはないからこそ、ファンであった自分を責めることはないとも思う。

 この映画でも、そういったせめぎ合いを見せるファンは多い。監督も、グッズの数々を「お焚きあげ」しようと友人と思い出話をするうちに、なつかしさがこみあげ、思わず「推し」のことを擁護してしまう瞬間もある。でも、彼女たちはやっぱり、「私の過去が汚されたのよ」「あなたの近くにいる女性たちが、権力を持つ男たちに痛めつけられたり利用されたりしています。それでもあなたは彼をかばうんですか」という姿勢である。

 しかし、いまだに彼のファンだと言う人も存在していて、監督は戸惑い、そんな彼女たちの気持ちがなんたるかにも気付こうとし、旅を続ける。

復帰先として日本が選ばれる理由

 結局は、どちらも「傷ついている」ということなのだと思う。アイドルというのは、虚像であるのは前提である。そんな「推し」のことを神聖視しすぎるのもよくないが、神聖視するよりももっと性加害をする方が悪い。傷ついた側が、どうしていいのかわからずに、自分のバランスを取ろうとする気持ちは痛いほど理解できる。

 もしかしたら、「擁護する人」も「怒り狂う人」も、傷つきに対する反応を見せているのにすぎないのかもしれない。そんな風に映画を見て思った。

 映画の中で、かつての輝かしい「推し」のことを語る彼女たちの顔は、今でも明るい。「推す」という行為自体は決して悪くはない。自分が彼らのなんたるかを知らずに、夢中になっていたことも悪くはない。悪いのは、人に加害を行った「推し」自身なのだ。

 ただ、「バーニング・サン事件」に関わったタレントや、そのほかの事件で起訴されていた韓国の俳優やミュージシャンたちが、次々と復帰しているという。しかも、その場所として日本を選んでいる人も多いというではないか。そこには、日本のファンが、彼らに「怒る」よりも「許す」人の方が多いことも無関係ではないだろう。

 しかし現時点で私は、日本において「許す」ことが重要視され「怒る」ことが忌避されているようにも感じている。このように「怒り」がないがしろにされることで、日本で起こる様々な芸能の問題に関しても、そして政治の問題に関しても、早々に解決したような感覚になってしまって、問題の本質を見ないままになってしまっているように思うこともある。

 この国で「怒る」ことがタブー視されている間は、このような映画は撮れないのかもしれないとも思ってしまった。

『成功したオタク』

あるK-POPスターの熱狂的ファンだったオ・セヨンは、「推し」に認知されテレビ共演もした「成功したオタク」だった。ある日、推しが性加害で逮捕されるまでは。「推し活」が人生の全てだったオ・セヨン監督が過去を振り返り傷を直視すると同時に、様々な立場にあるファンの声を直接聞き、その社会的意味を記録する。「成功したオタク」とは果たして何なのか? その意味を新たに定義する、連帯と癒しのドキュメンタリー。

3月30日(土)より シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
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2024.03.30(土)
文=西森路代