だからこそ、映像化にあたり「長いストーリーの要素だけを紹介する、ただのダイジェスト版」になってしまうのは残念だ。それではなかなか新しいファンを掴めないから。

 さて、そのような意味で映画『ゴールデンカムイ』はひとつの映像化の成功例になった。なぜか。

※次のページから、映画『ゴールデンカムイ』の内容の一部に触れています。

 

2時間の映画で描かれたものは…

 映画『ゴールデンカムイ』の映像化が成功した理由。それは2時間の映画の構成が、マンガの序盤のみを描くことに限ったからである。

 全31巻ある原作の、たった3巻のエピソードを、2時間かけて描く。

 この挑戦は、見事に成功した。アクションシーンやアイヌ文化の豊饒さを丹念に映し出し、映画という新たな形で『ゴールデンカムイ』という作品の魅力を提示した。

 たとえば映画冒頭、日露戦争でもっとも過酷だったといわれる203高地の戦いのシーンが挿入される。山﨑賢人演じる主人公・杉元に「不死身の杉元」の異名がつけられる契機となった舞台だ。

 原作では何度も回想で反芻されるこの203高地の場面を、本作は迫力たっぷりに撮ってみせた。杉元がどのような戦いぶりだったのか、私たちは映画館のスクリーンで間近に見られるのだ。

原作でおなじみの「食べる」場面も

 さらに山田杏奈演じるアシリパが、アイヌの村に帰る場面では、アイヌ文化をじっくりと美しく撮ってみせる。原作ではおなじみの「食べる」場面もしっかり存在する。

 このように、埋蔵金争奪バトルという本筋だけを追いかけていると、零れ落ちてしまう原作の魅力――日露戦争の描写や北海道の熊の登場、そしてアイヌ文化の豊饒さ――を映画はしっかり時間をとって、スクリーンで見せてくれる。だからこそ私たちはこの物語の面白さに気づくことができるのだ。

 日露戦争やアイヌ文化を映すシーンに「尺を使うことができた」のは、映像化する部分を原作序盤のみにとどめたからだろう。なぜ映画『ゴールデンカムイ』は、「まずは原作の序盤だけを映像化する」という選択を取ることができたのだろう? そこには、本作の脚本家と監督が関わってきた、日本の映像エンタメの歴史が背景としてある。

2024.03.16(土)
文=三宅香帆