「ココミね。明日、欠場することになった」
といきなり先生の声が飛びこんできた。
「え、ウソ」
そう発音したつもりが、色を抜かれて声自体が透明になってしまったかのように、息だけが唇から漏れた。
「貧血の症状が収まらなくてね。ギリギリまで様子を見ようと粘ったけど、今日、午前中の試走のあとで、彼女のほうから出走を辞退する、って申し出があった」
「そ、そんな――」
心弓センパイが貧血に悩んでいることは知っていたけど、毎日一生懸命練習して、奇跡の大逆転で地区大会を優勝して、夢のまた夢だと思っていた「都大路を走る」チケットをゲットしたのに、大会前日にエントリーを取りやめることになるなんて、そんなのって。
改めて、食堂で隣に座っていたセンパイの様子を思い返す。きっと、とんでもないショックを抱えていただろうに、そんな気配はおくびにも出していなかった。確かに、咲桜莉がお土産の話を始めるまで無口ではあったが、話が盛り上がり始めると率先して、心弓センパイは各自のお土産事情を順に訊ねていた。みんなの緊張をほぐそうとしていたのだ。ああ、何て健気なんだろう、と涙腺が緩みそうになるのをグッとこらえる。
「わかりました」
気がつくと、私は座卓の上に両肘を置き、身体を乗り出していた。
「明日は、私たち一年生でちゃんと心弓センパイをフォローします!」
「違うって」
「え?」
「ココミじゃなくて、アンタの話」
ひっつめた髪のおかげで、あらわになっている額にしわが寄り、先生は何だか怖い顔になって、こちらを睨みつけた。
「ココミのことフォローするのは当たり前だし、一年生だけじゃなく、部員みんなでやることだから。それより、ココミの代わりに誰が走るのかって話。夕食の前にね、キャプテンとココミと三人で相談したの。代走に誰を立てるか――」
先生はひと呼吸置くと、こめかみにあてていたペンの尻を私の鼻先に向けた。
「坂東、アンタに決まったから」
一瞬、視界がぼんやりとして、それから自分に突きつけられた、ペンの尻に焦点が合った。
2024.01.30(火)