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負債を抱えながらも、「驚愕の決断」をしたワケ

 世の中が次第に落ち着いてきて、FKD48の第二回の延期公演の劇場は、当初開催予定だった345人キャパの渋谷「伝承ホール」ではなく、約500人キャパの「なかのZERO小ホール」に変更しました。「ピンチをチャンスに」ではないですが、「もともと即完イベントで、ライブを見られないお客様が多数いたので、それならば会場を大きくして、売り上げを損害の補填に回したい」と考えたのです。

 そんなこんなで、5月20日に、当初の予定より2カ月遅れで、『FKD48 2nd LIVE~躍動~総選挙&春の新ネタ祭り』をなんとか開催することができました。

 新ネタライブも、総選挙も盛り上がり、まだまだFKD48は若手お笑い界の注目の的として存在していました。さらにすごいことに、ライブを見に来ていたテレビ関係者の方が楽屋に来て、「FKD48を、テレビで取り上げたいんだけど、K‒PROさんも協力してもらえませんか?」と言われました。なんと、ユニットライブ二回目にして、テレビ番組のオファーが来たんです。磁石の永沢さんが結成時に言っていた、「俺たちで時代を作るんだ」という言葉が、実現しようとしていると感じました。

 ユーチューバーという職業もまだなかった時代に、お笑い界の常識だった、「事務所が仕事を取ってくるのを待つ」のではなく、自分たちで動いて、仕事を取ってくることができると証明できた瞬間でした。

 第一期M‒1が終わって、お笑い氷河期時代と言われた2010〜11年は、今振り返ると、芸人さんもスタッフも全員が「お笑い」を続けていくためには、現状をどう変えればいいか考えて必死に動き出していました。

 K‒PROがそれまでやっていた営業の仕事をやめて、ライブ制作中心に移行していったのも、2011年の東日本大震災がきっかけでした。

 当時請け負っていたお祭りなどのイベントの8割が東北で行われていたので、震災の影響を多大に受けて、決まっていた営業の仕事がほとんどなくなってしまったのです。津波被害で、「お笑い体験学習」をやることになっていた学校自体がなくなってしまったという連絡を受けたときは、かなりショックでした。

 また、「お笑いライブどころではない」という空気もあり、ライブの中止も相次ぎました。我々もそうですが、芸人さんのほうも、舞台がないと生活が成り立たなくなってしまうので、

「生きていくためにも、今後は自分たちで仕事を作っていかないとダメだ。どんな状況下でも芸人さんに出ていただける場所を作るため、ライブ運営だけで生活していこう」

 と、覚悟を決めました。

笑って稼ぐ仕事術 お笑いライブ制作K-PROの流儀

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文藝春秋
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次の話を読むお笑いライブ制作K-PRO代表がM-1に敗退した芸人から学んだ励ますタイミングの見極め方

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2023.12.24(日)
著者=児島気奈