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永島慎二やつげ義春の世界観をロックで再構築する

「こういう漫画の世界を音楽で描きたいと思ったんだ。だから、新しいバンドでは『日本語でロックをやる』ことをテーマにしようとぼくが提案したんだ。

 それまでロックといえば英語。日本語はロックのリズムに乗らない、というのが定説だった。でも、そんなはずはない、とぼくは思っていたし、そもそもぼくは、細野さんに『松本が詞を書け』と言われ、詞を書くようになるわけだけど、日本語でやるべき、というのはエイプリル・フールの頃からずっと思ってた。だから『ぼくが書くなら日本語で書きたい』と。

 細野さんはこだわりがあんまりなくてどちらでもよかったみたいだけど、大滝さんは最初は懐疑的だった。だから、大滝さんに詞を書いて例を見せなくちゃいけないと思ったんだ。ぼくがやりたいのは、永島慎二やつげ義春が描くような世界観をロックで再構築することで、それを日本語でやることこそが最先端の音楽になるんだと信じていたから。

 そこは、たぶん、すごく力説したと思う。大滝さんも永島慎二が好きならわかってくれるはずだから。そして、『春よ来い』も書いたんだ。大滝さんはグーグー寝てたけど。書き上げたら朝になっていたから、コタツの上に詞を置いて、部屋を出た。『この詞にも曲をつけてみて』と書き置きをして」

お正月と云えば
炬燵を囲んで
お雑煮を食べながら
歌留多を していたものです

今年は一人ぼっちで
年を迎えたんです
除夜の鐘が寂しすぎ
耳を押さえました

「春よ来い」はっぴいえんど
(作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一)

 1970年4月。バンド「ヴァレンタイン・ブルー」は「はっぴいえんど」に改名する。それは、ファーストアルバム『はっぴいえんど』のレコーディングに入る前のこと。

「ぼくと一緒に車に乗っていたとき、細野さんがバンド名を変更しようと言ったんだ。ぼくの詞を見てそう思ったみたい。『はっぴいえんど』にしようよ、って」

しあわせなんて どう終わるかじゃない
どうはじめるかだぜ

「はっぴいえんど」はっぴいえんど
(作詞:松本隆 作曲:細野晴臣)

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松本隆(まつもと・たかし)

1970年にロックバンド「はっぴいえんど」のドラマー兼作詞家としてデビュー。解散後は専業作詞家に。手がけた作品は2,000曲以上にもおよぶ。

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2023.11.28(火)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖