大学生の時も、皆がテニスや合コンに精を出す中、私だけ田中角栄さんを追っかけて新潟へ飛んで。キャスターになってからは当然24時間ファイティングポーズで、ポケベルや携帯電話を肌身離さず持って、呼ばれたらいつ何時でも駆けつける。

 で、そういう生活を続けているとわけもなく「もう辞めたい」となるんですけど、母からは、「あなたに仕事をしてくれなんて頼んだ覚えは一切ない。辞めたければ辞めれば?」と突き放されて。それで辞めなかったんです。すごい意地っ張りだよね(笑)。

――そうは言っても24時間、男社会で戦い続けるのは大変だったのでは。

安藤 「女のくせに生意気だ」と言われたら“ペット化”して可愛がられるようにしましたし、仕事ができるようになってくると今度は女性であることを封印して働きました。

 

 戦場でも紛争地帯でも飛んで行き、ミサイルが飛ぶ中で男性スタッフと同じ釜の飯を食べていると、「私はもうボーイズクラブの一員になったんだ」と、得意げな気持ちになって。おじさんと同化したんです。

 でも、結局は女性である自分を封印しているわけで、いびつですよね。

親の介護で実感した、「自己責任論」の負の側面

――女を言い訳にせず男並みに働く一方、お母さまの介護では「娘として親の面倒をみなくては」と思われたそうですね。

安藤 大正生まれの母からはさんざん、「親の面倒を子どもが見るのは当たり前」と言われ続けてきていましたから、母をホームに入れる時は大変な葛藤がありました。実際、母から「苦労して育てたのにこんな仕打ちをするのか」と罵倒され、罪悪感のあまり一度は母と同居して私が面倒をみようかと考えたほどです。

――家庭内の問題をすべて「イエ」で抱え込む「日本型福祉社会論」が、安藤家でも展開していたんですね。

安藤 親の世代が刷り込んできた家族の価値観、いわゆる家の中のことは家族ですべて請け負う“自助”の考え方は、「家庭長たる女性が家庭内安全保障をしっかりと行うべき」という、自民党が行ってきた刷り込みと全く同じです。

2023.07.26(水)
文=小泉 なつみ