「今は一番柔軟。そんな自分が面白い」
――金原さんにとっての小説のような「現実を生きるための居場所」は、誰にとっても必要だと思われますか?
今の時代、それがない状況で生きていくのは辛いですよね。本当になんでもいい、ゲームでも小説でも友達でもいいし家族でも仕事をするでもいいんでしょうけど、どこか自分が身を置ける安全な場所があれば、かなり安定できると思います。
――コロナ禍に女の子たちの間で推し活が広まっていくのを、ユリさんが「コロナ禍を生き抜くための方法」と評するシーンがありますが、「推し」とか「恋愛」も、同じような意味合いがありますよね。
生きていく上でなにかもうひとつ支えがあれば、自分は楽になれるのにーーという気持ちって、多かれ少なかれきっとみんなありますよね。そのひとつが「恋愛」になるのは、よくある話だと思うし、ユリさんにとっての不倫もきっと当人にとっては必要なものなのではないかなと思います。玲奈もそういった機微を持つ人物に変わっていくという展開もあったんですが、真っすぐに突っ走るところが彼女の良さなので、そこは最後まで貫かせました。
――そういう自分とは全く正反対の人物を最後まで描くことで、金原さんの中で発見や変化はありましたか?
自分というものの輪郭が広がった気がします。玲奈的なところを自分の中にもちょっと見出せたからか、私はこうだというと輪郭の線がちょっと滲んで、広がった。あるいはどこかと繋がった。
考えてみれば、これまでもずっとそうだったんです。私は一人称視点で小説を書くことが多いんですが、こいつ何?意味わかんないと思いながら描く人物ほど、描き終わる頃にはこの人の気持ち、めっちゃわかる!って。小説の中で仲直りするような瞬間が何度も訪れたんです。逆に自分と近い人間ほど、最初は書いてて気持ちいいんですけど、だんだんわからなくなってきてムカついてきたり(笑)。
――玲奈のように直接誰かと関わって知り合うことも大切ですが、書くことを通して知ることも大きいですよね。
そうそう、小説の中でユリさんが許せない奴がいるってキレながら「でも私は一番理解できない人のことを一番よく考えなければいけない」という結論に至ってたけど、私にも同じ思いがあって。自分が最も嫌悪する人のことを知ることは、それを嫌悪してしまう自分自身を知ることでもあるし、自分を知るということは、自分を通して外側の世界や他者を見ていくということだと思うので、最近は「苦手」ほど広いものを見せてくれるのかなと思ってます。
――ディスコミュニケーションを描き続けてきたような金原さんが、おもしろいですね。小説の中でユリさんも玲奈の影響を受けて変わる姿が描かれていましたが、人は幾つになっても変わることができるんだと嬉しくなりました。
私自身、この歳まで生きてきて、今がいちばん柔軟なんじゃないかなと思うんですよ。こうじゃなきゃだめって子どもだったんで、頑なに学校も通わなかったり、これは絶対に嫌とか、これじゃなきゃだめとかが強い子どもだったので、本当に狭い範囲でしか息ができなくて苦しんでいたけれど、少しずつ年をとっていく中で許容できるものが増えたり、広い範囲のものに興味が持てるようになった。最近はそんな自分をおもしろがってます。
金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
1983年東京生まれ。2003年『蛇にピアス』で第27回すばる文学賞を受賞。04年、同作で第130回芥川賞を受賞。ベストセラーとなり、各国で翻訳出版されている。10年『TRIP TRAP』で第27回織田作之助賞を受賞。12年『マザーズ』で第22回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。20年『アタラクシア』で第5回渡辺淳一文学賞を受賞。21年『アンソーシャル ディスタンス』で第57回谷崎潤一郎賞を受賞。22年『ミーツ・ザ・ワールド』で柴田錬三郎賞を受賞。
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2023.06.27(火)
文=井口啓子
写真=佐藤 亘