「赤ちゃんの気持ちを読む力」が発達
一方、母親の脳内で発達するものもあります。それは赤ちゃんの気持ちを読む力であり、これを「セオリー・オブ・マインド」(Theory of Mind/心の理論)といいます。もともとは心理学用語ですが、近年、それが前頭連合野の働きであることがわかりました。
この部位の発達に伴い、まだ会話を交わすことのできない赤ちゃんの表情や身振りから、赤ちゃんが今、何を欲し、何を考えているのかがわかるようになります。つまり、経験を重ねるとともにこの脳の部位は育つのであって、これも母親に限ったことではなく、父親のセオリー・オブ・マインドも育つのです。
赤ちゃんだけでなく、コロコロとしたパンダや子犬、ネコを見るとかわいくて目が離せなくなります。このとき、眼窩前頭皮質という幸福感に関係する脳の部位が活性化します。これは、かわいいもの、つまり赤ちゃんを見ると、思わず手を伸ばして世話をしたくなるように、進化してきているから。そこにも性差はなく、男性も赤ちゃんや動物にメロメロになりますね。
では、ホルモンはどうでしょう。幸せホルモンとしてお馴染みのオキシトシンは、出産の際に子宮の収縮を促すことで陣痛を誘発したり、出産後に母乳の分泌を促したり、女性特有のホルモンとして知られてきましたが、これも男女を問わず、赤ちゃんと触れ合うことで分泌され、幸福感を覚えるということがわかっています。
とは言っても、赤ちゃんを世話しているのに幸福感を覚えない自分はおかしいのか、それこそ「母性」がないのか、などと思い悩む必要はまったくありません。それだけ育児は困難の連続。ひとりで背負い込むのはそもそも無理があることで、サポートが必要です。
女でも男でも。自分で産まなくても
生物学的に母親となった女性に起こる変化は、このようにいろいろあるのですが、それは母性と呼ぶべきものなのか、そこに「母」という言葉がつく必要があるのか、大いに疑問です。
もちろん、妊娠・出産は女性にしかできません。しかし子育ては、母性、母性本能という言葉において女性にしかできないものとして語られてしまうのは、女性のためにも男性のためにもならないと思うのです。
男性でも育児中に起こる脳の変化はあるわけです。さらに、父親だけではなく、アメリカで暮らす私の周囲には、養子縁組によって生物学的な繋がりのない親になっている人が何人もいます。その人たちが子どもへの愛情、心配、時に痛みを感じていないわけがありません。
母性に代わる言葉を、そして母っていったい何なのか、父って何なのか、女性も男性もいま率直に語り合うことがとても大切だと思います。
内田 舞(うちだ・まい)さん
小児精神科医・脳科学者。ハーバード大学医学部准教授。2015年よりマサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長として勤務。アメリカ・ボストン在住。近著に『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)。
2023.06.07(水)
Text=Atsuko Komine