文化的に意義があり、芸術上や学術上価値が高いものとして国が登録する有形文化財。日本には、有形文化財に登録されていながらも、今も現役として多くの宿泊客を受け入れる歴史と格式に満ちた宿がいくつも存在しています。

 静岡県伊豆市修善寺に位置する、明治5年創業の新井旅館もそのひとつ。ここには数多くの日本を代表する文人墨客が訪れました。芥川龍之介や泉鏡花、高浜虚子などが、旅館のことを自伝や作品に書き記しています。また、横山大観や安田靫彦といった画人らとも縁が深く、館内にはゆかりの作品や建造物が多く残っています。

 なぜ、これほどまでに多くの人に新井旅館が愛されたのか。それは、3代目館主「相原寛太郎(雅号:沐芳)」が多くの文人墨客らと交流し「ここに来たらきっとおもしろいことがある」と思わせたからでしょう。文化人らを魅了した宿の魅力をご紹介。


国の登録有形文化財の宿「新井旅館」

 三島駅から伊豆箱根鉄道で修善寺駅まで約30分、そこからバスで10分ほど行くと、新井旅館のある修善寺温泉街に到着します。

 江戸時代には温泉街としてにぎわった修善寺。新井旅館は明治5年に開業し、建物の多くが有形文化財に登録されています。

 敷地に入ってすぐの青州楼は木造三階建の六角塔を持つ建物。擬洋風の建築は当時最新のもので、一際目立っていたそう。

 青州楼を横目に、敷地を進んでいくと新井旅館の本館ともいうべき「月の棟」が。ロビーに飾られている扁額「あらゐ」の文字は、日本画家・川端龍子が書いたもの。奥の扁額は、「無我」で知られる日本画家・横山大観が書いた「游刃餘地(ゆうじんよち)」と、さながら美術館のよう。

 ロビーを出て、客室のほうへ向かうと、厳島神社を模した回廊が広がります。ここで風に当たりながらくつろぐだけで至福の時間が流れます。

 回廊から続く屋根付きの太鼓橋「渡りの橋」は、目透かしの小巾板で作られ、優美な見た目だけでなく下に流れる水の湿気を逃す作りに。

 渡りの橋は、ゆるやかな登り坂ですが、一見高低差があることを感じさせません。

 それは目の錯覚を利用して、欄干の高さを変え平坦に見せているから。旅で疲れた人へ心理的な負担を軽減しようという心遣いを感じます。

 渡りの橋の先は、しっとりと薄暗い廊下が続きます。その理由は、廊下を渡り終えた後にわかります。

 仄暗い廊下を抜けると明るく広がる「華の池」が。「皆さん、ここで『わぁっ』て驚かれるんです。この感動のために、先ほどの廊下はわざと暗く設計されているんですよ」と女将の森 桂子さん。

2023.05.15(月)
文・撮影=神谷加奈子