歌手は、培った技術を新たな表現に応用する‟受容体”
――9年前のリヨン歌劇場の来日公演でのカパルボさんの演技はとても素晴らしかったです。舞台で極限の演技をされていたので、楽屋で崩れ落ちていたのではないかと……。
僕自身は、ときに自分を歌手である以上に演じ手だと思っています。彼と同じ痛みや欲望を抱えたまま楽屋に戻ることはありますし、それが翌日まで残ってしまうこともあります。ホフマンは、どんなに寂しく苦しいときでも、想像力を羽ばたかせる芸術家です。だからこそ、この物語は多くの人々を虜にするんです。
ただの風船のようなファンタジーではなく、本当に人を不思議な世界に誘うようなオペラだと思います。美しい女性が出てきて「あなたが好きよ」と言いながらも、裏切られてしまう。裏切られたと怒っているけれど、裏切られたときにも新たなものを創造している。そういう形で愛はつながっていて、ぷっつり切れてしまうことがないのです。ときには愛の存在が彼にとって大きすぎると考える人もいるでしょうが、それこそが彼の原動力なのです。
――『ホフマン物語』には、それぞれの恋の場面で姿を変えて登場する4人の悪役が出てきます。この悪役については?
悪役って何でしょう? 私は演劇の世界では不可欠なものだと思っています。人間としての経験を振り返ったとき、社会の秩序から少しでも逸脱すると悪者になる。このオペラの悪役は、人を騙そうとしたり、嘘の薬で陥れようとしたりしますが、「何もかも見えてしまう魔法の薬」は、見方を変えれば役に立つ薬なのかも知れない。どの立ち位置にいるかで、悪役かどうかは変わってしまうのです。でも、これはホフマンの物語で、彼の人生は少しひねくれていて、悪役にも滑稽なところがあります。
――今回はワーグナーの歌い手としても有名なバリトン歌手のエギルス・シリンスが悪役を演じます。
彼はとても知的で洗練されていて、美しい声をもった歌手です。反応もとてもいい。これから稽古を進める中で関係性を深めていきます。ホフマンが恋する三人の女性や親友ニクラウス役など、日本人の歌手の皆さんもとても素晴らしいですね。
――カパルボさんは『リゴレット』や『椿姫』といったイタリアオペラを歌うかたわら、先日まではクルト・ワイルの『マハゴニー市の興亡』に出演されたり、バーンスタインの『キャンディード』やストラヴィンスキーの『放蕩者のなりゆき』の主役を頻繁に歌われています。これらは大変知的なアプローチを求められ、譜読みも難しいオペラですね。
皆さんが期待するイタリアものや、今回のホフマンなども歌いますが、トーマス・アデスやケヴィン・プッツの現代ものの初演などの話をいただくと、どんどんやっていきたいと意欲が湧くのです。自分の視野をつねに広く持ちたいし、歌手とはそういうレセプターでなければならないと思います。そのための教育やトレーニングを受け、技術を会得しているわけですから。ヴァイオリニストはパガニーニばかり弾いていればいいというわけではなく、培われた技術をどこかに応用できるのであれば、『トスカ』や『カルメン』だけにとどまっていたくないのです。
2023.03.17(金)
文=小田島久恵
撮影=末永裕樹