それにしてもなぜ、これほど新名物にこだわるのか。実は米子ならではの事情がある。

 

なぜ牛骨ラーメンを観光の切り札にしたのか

 江戸時代から交通の要衝だった米子は、現在も鉄路や空路、道路網の結節点となっている。このため商人のまちとして栄えてきたが、観光面では今一つだ。皆生(かいけ)温泉はあるものの、かつての勢いはない。隣の境港市には「水木しげるロード」があり、中国地方の最高峰・大山(標高1729m)は開山1300周年を迎えた。鳥取市の鳥取砂丘もインバウンド観光で賑わうなどしているのに、鳥取県内では通過点でしかない印象があった。このため、伊木隆司市長が「米子の新たな名物の磨き上げや掘り起こしに取り組み、SNSなどでの発信を行うなどにより誘客につなげて参ります」と市議会の施政方針演説で表明するほど力を入れている。

 という背景があっての牛骨ラーメンだ。

 大森さんが鳥取県内でのルーツを調べたところ、様々な説がありはしたものの、「米子が発祥」という話に説得力があった。

 鳥取県は古くからの牛の産地だ。大山の麓では国内有数の牛馬市が開かれていた歴史がある。

 全国に注目される牛もいた。5年に1度開催されることから「和牛五輪」と呼ばれる「全国和牛能力共進会」。その第1回大会(1966年)で、1等賞に輝いた種雄牛「気高(けたか)」号だ。気高号の子は繁殖能力が高く、体も大きくなることから、全国の黒毛和牛の改良に使われた。しかも、鳥取県畜産試験場の研究では、気高号の血統を濃く引き継ぐ牛ほど、脂肪の口溶けや風味がよくなるオレイン酸が多く含まれると分かっている。

「そうした鳥取県ですから、牛肉の消費が多く、骨がたくさん出るので、牛骨はただ同然で手に入りました。このためスープのだしに使われるようになったらしいのです」と大森さんが説明する。

 加えて、米子人は大のラーメン好きだった。

 大森さんがインターネットのグルメサイトで調べると、米子市内にはラーメン店が107軒あり、2021年7月時点の人口14万6851人で計算すると、1万人当たりの店舗数は7.29軒だった。この数字は名だたる「ラーメンのまち」と比べても遜色なく、①福島県喜多方市(18.03軒)②栃木県佐野市(13.34軒)③福島県白河市(10.00軒)④北海道旭川市(8.17軒)に次ぐレベルだった。

2023.02.20(月)
文=葉上太郎