――漫画家になろうと思われたきっかけは?

アッツー 高校3年生の時、賞金に目がくらんで漫画賞に応募したところ、前途有望として名前だけ掲載されて。それで大工から漫画家に目標を変えたんです。漫画家さんの方が儲かる気がしたので(笑)。ただし、そこから連載につなげることは難しく、アシスタントとして先生の手伝いをすることになったんです。

 最初は白泉社さんで連載をしている先生にお世話になって、22歳の時に「少年ジャンプ」に持ち込んだ際、編集者の方にアシスタントの仕事をくださいとお願いしたところ、次の日に電話がかかってきて『ROOKIES』の森田まさのり先生のところが空いてますよと言われたんです。

 その時は“絶対無理だ、あんな上手い絵が描けるわけない”と思ったんですけど、クビにするのは先生なので「できます」とハッタリをかけて(笑)。周りのスタッフにこんな絵でよく来たねと思われたら悔しいじゃないですか? とにかく上手ければ文句は言われない。この空間にいる誰よりも上手く描こうと思って必死で練習しました。結果、最終回までお世話になったんですけれども、大事な表紙のメインの背景を任されたことも何度もあります。

 

年齢と共にアシスタントの仕事は減っていく。それなら…

――『ROOKIES』は1998年から2003年まで長期に渡る連載でした。連載が終わって次の現場に移る時は、どんなプロセスなんですか?

アッツー 普通は自分で募集しているところを探して行くケースがほとんどですけど、僕はその頃になると正直どんな絵でも描ける自信があったので、担当さんに「とにかく月30万稼げる職場だったらどこでもいいので紹介してください」と、お金前提でお願いしたんです。

 それで『シャーマンキング』(武井宏之)を紹介してもらって、終わったら次は『DEATH NOTE』(原作:大場つぐみ 作画:小畑健)、終わったら『NARUTO -ナルト-』(岸本斉史)という感じで、いずれも最終回まで手伝いました。

2022.11.29(火)
文=秦野 邦彦