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ほのぼのとした羅漢を探す

 私は斜面伝いに小道を上がった。すると、いた、いた、いた! シッポが丸まった柴犬らしき犬を背負った、ほのぼの羅漢No.1というべき、おじいさんが! 何で背負っているのかは全く分からないが、目に入れても痛くないほどかわいがっていたのだろう。

 その近くには、マイクを持って歌う陽気なカラオケ羅漢、さらに一瞬、明石家さんまさん? と、二度見してしまったシンバル羅漢もいる。

 一方で、白衣を着たお医者さんやアイロンを持ったクリーニング屋さんなどのお仕事羅漢シリーズも。馬をなでる羅漢や畑仕事をするおばあさんなど、ひとつとして同じポーズがない。

これも昭和の姿なのか?

 ああ、この東堂山には、昭和を生きた人のそれぞれの人生が、この苔むす斜面に詰まっている。ふと、両手にお銚子を持ってはしゃぐ羅漢が目に入った。

 高度成長やバブルを味わった世代の人から「経費使い放題だった」「タクシーは万札持って止めていた」という話を聞いたことがある。しかし、バブルが弾けてから社会に放り出された私はその浮かれた時代を知らない。このお調子者羅漢は、生前、毎晩、飲み歩いていたのだろうか。そんなことを想い、たたずんでいると私はあることに気が付いた。

 この羅漢様、お銚子を持って騒いでいるわけではなく、ちゃんと同僚に酒を注いでいるのだ。ただし、その注ぎ方がまさに昭和なのである。

 お銚子羅漢の足元に苔玉があるのだが、これは苔に覆われすぎた同僚の丸い顔であった。真上に顔を向け口をパカッと開けてお銚子羅漢から酒を受けている。これぞ昭和の飲み会。後世に石像となって宴会芸を伝えたかった人たちがいたことに私は驚いた。

 いつも宴会や接待を盛り上げていた仲良しだったのかもしれない。

 しかし、酒が落ちるはずの口元に落ち葉が詰まっている。私はおそるおそる、おじさんの口に指を突っ込んで、よく飲めるようにと葉っぱを取り除いた。ローマの真実の口の伝説のように、突然、噛まれたら怖いと思いながら。

2022.11.05(土)
文・写真=白石あづさ