この記事の連載

真剣に遊ぶことで作品が強度のあるものに

――本作が話題を呼んだ背景には、“遊び”に満ちた作品が減っているということもあるのではないかと思いました。

 遊びにも色々ありますが、オダギリさんがやったことは大人の高尚な遊びだったんじゃないかと思います。決して現実を無視した無責任な遊びではなかったと思います。その部分を理解している人たちが集まっていたし、何よりオダギリさん自身がそういう人ですから。

 普段はものすごく哲学的で思慮深い人が、自分自身のある側面を思いっきり利用して遊ぶことに意味があったんじゃないかと感じます。仮にだれか違う俳優さんがこれを監督したら、全く違う人たちが集まって、違った味に変化していたでしょうし。

 普段ものすごく意味や価値を考えている人が、意味や価値を求めないことをやったことそのものに価値があるような気がしています。

 誤解を恐れず言うと、さぼる哲学のような、真剣にさぼる、真剣に遊ぶことでこの作品が強度のあるものに仕上がったんではないかと思っています。

――確かに、『オリバーな犬』の意義は受け取った視聴者サイドが考えることでもあるかもしれませんね。現場にお伺いしても、「いまの映画・放送業界にカウンターをするんだ!」というような雰囲気というより、皆さんが軽やかに楽しんでいる印象がありました。

 そういう感じはなかったと思います。そういう個の対象に向かったドメスティックな感じではなく、笑いという抵抗を現実に向けていたような感覚はありました。人生の困難な時において、笑いというものは人間性を取り戻す為の大きな力があるなと、改めて感じました。軽やかに楽しむことが、あの時出来るひとつ大きな現実への抵抗だったと思います。

 シーズン1に関しては特にコロナ禍というものが大きく作用していて、2020年の末に誰も選ばないことをやった作品だったと思います。最初は驚きましたが、オダギリさんらしいなと思いました。

 シーズン2については、それからまる一年経過した2022年の頭に撮影していて、なかなか出口が見つからずに停滞する世界にどこか、その停滞そのものを楽しんでいる感覚を抱きました。シーズン1に比べてさらに物語からの脱線、寄り道が多いのですが、その分さらにみんなでガチャガチャしてるというか。新たにまたまた個性の強いキャラクターも続々と登場して、すごく面白かったです。

2022.09.30(金)
文=SYO
撮影=佐藤 亘
ヘアメイク=FUJIU JIMI