アレジ そうそう。七五三とか。ジャパニーズ・テイストは、ちっちゃい頃から入ってた。
ーーお母様が作ってくれた日本食で、大好きだったものはありますか?
アレジ 明太子パスタ。
ーーあちらでは、明太子は簡単に手に入らないですよね。
アレジ 日本からオーダーしたり、日本のスーパーっぽい店もあるから、そこで買ったり。でも、明太子はそんなになかったと思う。ほんと、食べられるのはときどき。だから、キャビアと一緒くらい特別だった。スペシャル(笑)。
ーーご両親は厳格でしたか。
アレジ お母さんもお父さんも教育には厳しかったけど、日本の親ほどだったとは思わない。いま、日本でちっちゃな子を見ると、やっぱり僕はぜんぜん緩かったと思う。いろいろ許されてた。
日本のちっちゃい子は、すごい真面目でいろんなことができるよね。僕は日本の子たちの半分ぐらいもできなかったから。僕もあんなふうに真面目になりたいと思う(笑)。
幼少期は「レースはやらせない」という方針
ーーやはり、お父様がレーサーだっただけに、幼少時の遊びは車に繋がるものが中心に?
アレジ ちいさなバギーっぽいのに乗ってた。お父さんに「レースはやらせないけど、これで遊んで」と言われたのをよく覚えてる。
お父さんから、アクセルの踏み方、ブレーキの踏み方を習ってたので、ベースは少しあったけど、あとは自分でやってみなさいって。「やり方は自分で探さなきゃダメ。自分のフィーリングで探して」って言われたの。バギーを運転しながらミラーを見て、別の車が追ってくる想像をしたりして遊んでた。
石がいっぱいある道を走ったりして衝突したり、バギーを壊しちゃったりしたこともあって。
ーーインドアな子供ではなかった。
アレジ ビデオゲームをやったり、映画を見たりとかは、あまり。たまにゲームなんかやってると、お父さんに「外に出て、なにかしよう」と言われてたから。けっこう、アクティブだった。
2022.08.02(火)
文=平田裕介