「唯一無二の発信型アーティストとして勝負をしたい」

 芸能人の”真似メイク”が大ブレイクし、TVや雑誌でも大きな話題となったかじえりさんは、現在、YouTubeをメインに発信型メイクアップアーティストとして活躍中。

 そんな彼女ですが、巷のYouTuberやインフルエンサーとは、“気合い”がひと味違う様子。なんと、理想のコスメをプロデュースするため、会社を興し、自社ブランドの社長になったそう。そして、今年の1月にはママに!

 そんな激動の20代を過ごすかじえりさんの人生の道のりを、深堀りしてお届けします。前篇となる今回は、“「真似メイク」のかじえり”誕生秘話から。

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人生を変えた「真似メイク」。高校時代、趣味のメイク投稿が200万アクセス超えに

――メイクを発信するようになったのは、いつ頃からですか?

 高校時代、ブログに「今日のメイク」をアップしたのが始まりですね。最初は、その日に使ったコスメやおすすめのアイテムを紹介していたのですが、そのうち、顔を出してメイクのテクニックも紹介するようになってからは、1日に2、3万アクセスに。

 中でも反響が大きかったのは、芸能人の顔に寄せる「真似メイク」ですね。高校を卒業して専門学校に入るくらいのタイミングでは、いわゆる“バズる”という現象が起きて200万以上のアクセスが! それがネットニュースに取り上げられ、「真似メイク」でフィーチャーされるようになりました。

――“「真似メイク」のかじえり”が誕生した瞬間ですね。

 そうかもしれないですね(笑)。ただのメイク好きの学生だった私がネットニュースに載り、世の中でクローズアップされるとは夢にも思ってなかったので、嬉しい反面、ドキドキでした。でも、このタイミングをきっかけに、メイクを仕事にしたいという気持ちを持ったので、大きな転機になったのは確かです!

――高校も専門学校も美容系……と、若いときから美容道を邁進するかじえりさんですが、メイク魂が宿ったのはいくつくらいのときですか?

 小学生のころは、お小遣いを貯めて100円ショップや300円ショップでコスメを買い漁っていました。当時は、自分にコンプレックスがあり、可愛くなりたい一心でした。一番身近な女性である母は、いつもノーメイクだったので、メイクテクを聞けないだけでなく、メイクすることも大反対! なので、お風呂に入る前に母に隠れてこっそりしていました(笑)。でも、どんどんと変わっていく、鏡の中の自分の姿にワクワクしましたね。

 メイクアップアーティストを志したのは14歳のときです。きっかけは、プリクラ。当時、放課後になるとメイクをしていたので、友人とプリクラを撮るとやたら私だけ盛れていて(笑)。「私にも!」とお願いされたのでメイクをしてあげたら、みんながすごくよろこんでくれて。こんなに感謝されることを仕事にできたら素敵だと思い、そこからは勉強も一切しなくなり(笑)、プロのメイクアップアーティストになることだけを考えるようになりました。

――そこから、“発信型メイクアップアーティスト”という唯一無二の存在に“着地”したいきさつを教えてください。

 「真似メイク」がブログでバズって以降、反響が大きくなりました。フォロワーの方から「可愛くなれた」「コンプレックスから解放された」というコメントをもらうたびに発信することへの自信に繋がりました。

 そこから、自分が好きなメイクと発信という方法をミックスして新しい職業として成立させたら、私ならではの強みになるのではないかと。その意志が固まってからは、専門学校卒業後の進路がヘアメイク事務所への所属ではなく、“発信型メイクアップアーティスト”になりました。

――発信型メイクアップアーティストとして活動を始めて、苦労したことはありますか?

 まず取り組んだのは、YouTubeチャンネルの開設だったのですが、ゼロからのスタートだったので、カメラやパソコン、照明器具といった機材を揃えるため、50~60万円の先行投資が必要に。当時はまだ24歳くらいだったので、こんな大金を使ってコケたらどうしよう……という不安もありました。編集などの技術も必要なので、その勉強にも時間を費やし、慣れるまではなかなか大変でした。

2022.07.16(土)
文=金子優子
写真=榎本麻美