RMがあのような率直な内心を吐露したのは、ポン・ジュノ監督をはじめとして映画界で進んできたような環境改善を求めるためのメッセージとも捉えられるのではないか。

 

「主体性」と「プロダクション主導」のバランスが崩れた

〈 俺をアーティストと呼んでもいい/アイドルと呼んでもいい/あるいはその他の呼び方でも/俺は気にしない〉

 2018年に発表した「IDOL」という曲で、BTSはこう歌っていた。作詞・作曲には、メンバーのRMやHYBE創業者のパン・シヒョクが携わっている。その歌詞からは、BTSがみずからのアイデンティティについてずいぶん前に超克していたことをうかがわせる。

 アーティストでもあり、アイドルでもある──つまり、大量生産型の「ファクトリーアイドル」ではなく、BTSは明確に「主体性のあるアイドル」だった。逆に見れば「アイドルをするヒップホップグループ」とも言えるだろう。なんにせよ片方のカテゴリーにも収まりきらない存在性こそが、BTSの世界的な人気につながったのは間違いない。

 今回のRMによる問題提起は、たしかにその発言からは「主体性のあるアーティスト」と「プロダクション主導のアイドル」とのバランスが悪くなったことを感じさせる。実際に、彼らがそのダブルバインドで苦しんでいるのも間違いないだろう。

 しかし、そうしたことも含め、もう一段階メタな立場からみずからの葛藤に言及するのはやはりBTSらしい。

 このとき思い起こすのは、4年前の国連でのスピーチだ。2018年9月、BTSはニューヨークの国連本部で世界の若者に向けてメッセージを発信した。

〈 あなたが誰なのか、どこから来たのか、肌の色やジェンダー意識は関係ありません。

 ただ、あなたのことを話してください。話すことで、自分の名前と声を見つけてください。

 私はキム・ナムジュン。 BTSのRMです。

 アイドルです。韓国の小さな町で生まれたアーティストです。〉

 BTSが、みずからについてしっかりとを話すのは以前から当然のことだった。大きな葛藤を抱えていることを告白し、活動の中断を発表した際には涙も流したが、それも含めてBTSにとっては通常運行ということだ。

 今回の彼らから発せられたメッセージは、世界的に大きな注目を浴びた。だが、BTSの文脈的にはまったく驚くようなことではない。グループとしての葛藤はあるけれど、それも含めて語ることこそがやはり“BTSらしさ”だからだ。

2022.07.05(火)
文=松谷創一郎