「自分が面白いと思うこと」の追求が創作欲になっただけ

――その後、ご自身で「劇団ヤニーズ」を旗揚げします。どのような経緯で、自己発信にスライドしていったのでしょう。

 まず、演劇の門をたたく前に映像の専門学校/養成所に行きました。養成所を卒業すれば何かあるだろうと安易に思っていた自分がいたんですが……何もない。どうしたらいいだろうと思い、次は映像系の俳優さんが所属している芸能事務所へとアタックしました。ところが、履歴書やオーディション用紙を30・40通送ってもどこからも返事が来ないのが現実だった。でも、まだ自分には何かあると思えたのが21歳。

 映像の事務所に入れてもらえないけど、舞台の劇団は数多くありましたし、オーディションの数も多くて、演劇は門戸が開かれていたんです。その中のひとつに応募し、お陰様で劇団の研究生になれました。

 そこで教われば教わるほど「劇団に入って役者をやるよりも、自分で芝居を作らないと納得いかないだろうな」と思うようになって。むしろ、逆にそれを教わった感覚です。そこでまず一人芝居を始めて、その後に自分で仲間たちを集めて集団としての芝居作りを始めました。

――「muro式.」や「非同期テック部」を含めると、ムロさんは継続的に自主企画を続けられているかと思います。創作欲がずっと尽きずにあるのがすごいなと。

 いやいや、「創作欲」というカッコいいものではなく、作る側としてもうちょっと色々なものを理解したいという欲です。「知らないより知ってる側にいたい」という“怖さ”や、「作る側に行って勉強しなきゃ」という“焦り”なんですよ。

 20代は「いつかいい作品に呼ばれてのびのび芝居するため」という自分の出世欲だったり、自分に期待したい気持ちを増やしたいがための舞台づくりでした。その後、32歳で「muro式.」を立ち上げましたが、20代で経験した舞台づくりの経験値を使って、今度は自分という役者を知ってもらうためにみんなに観てもらう「公開オーディション」という感覚でした。だからこの時点ではまだ「創作欲」にはなっていない。

 「muro式.」を続けていくなかで「自分が面白いと思うものはこういうものだ」を少しずつ提示できるようになっていき、「muro式.9『=』」くらいから自分の創作・演出と言っていいかな? が出来始めて、最後の「muro式.10『シキ』」で少し創作欲が出たと思います。そこでは演出家や役者として自分自身に少し期待したし、お客さんにも「どうか何も残らない『笑い』を目指してください」と言えたかな。だから創作欲よりも「何も残らない喜劇をやる」と自分に言っていました。

2022.06.23(木)
文=SYO
撮影=鈴木七絵
ヘアメイク=池田真希
スタイリスト=森川雅代