「自分がダウンタウンになれないと知って絶望するところから、芸人は始まる」
――徳井さんも東野さんと同じ、サイコパス枠みたいなところに入れられがちだけど、あきらかに違うじゃないですか。
そうですね。僕はただただピュアなだけだと思ってるんで。東野さんは何度か人格が変わってる感じがしますよね。ふつうにおもしろいのに自分のことをおもしろくないって思い込んでるのとかすげえ不思議で、それくらいダウンタウンさんが強烈っぽいですけど。
――身近にあんな存在がいたら、そりゃあ心が折れて当然ですよね。
20代前半のダウンタウンさんって想像もできないんですよね、いかつかったでしょうね、とげとげしさとおもしろさが。僕らが見たことない部分があるんで、それを間近で見てたら、よく辞めずに頑張ったっていうほうがきっと強いんでしょうね。
――この本の冒頭でも書かれてますけど、ダウンタウンに憧れて同じ業界に入ったけど、自分がダウンタウンにはなれないと知って絶望するところから芸人は始まるっていう。
吉本に入ってる人にはめっちゃ多いと思いますね、その呪いが。静かにボケてツッコミはボケよりちょっとおもしろいことを言っちゃいけないみたいな、その流れに悩まされてて。ウチら世代とか前後10年ぐらいはみんなダウンタウン病なんで。
――まあ、しょうがないですよね。
しょうがないんですけどね、特に西の人たちがそれやってきてるのを見てるから。正当な後継者として千原兄弟さんが超おもしろくいるからこそ、ああやったほうがいいんだと思って。東京はあのスタイルは向いてなかったかもしれないですね、自分たちも両ボケ両ツッコミのほうがよかったんですけど、それに気づくのに時間かかりましたね。
――ダウンタウンは芸人以外にもものすごい影響を与えたわけで。ボクも含めて同級生たちがいかに真顔でボケるかみたいな時代がありましたよ。おもしろそうなことを言ってる感を出しちゃいけないっていう。
でも、「ごっつええ感じ」のDVD見直したときがあって、ぜんぜん声大きく張ってるし、ベタなことも言うし、松本さん変顔もするじゃないですか。なんでそうじゃないイメージになってるのかすげえ不思議ですよね。思春期だから書き換えちゃったのかな。
僕らはボケが偉くてツッコミは偉くないって習ってたじゃないですか。ツッコミがボケの前にボケるなとか、ツッコミのくせにボケよりおもしろいこと言うなって言われてたんですけど、「ゴレンジャイ」は最初にまず篠原涼子さんのオッパイを浜田(雅功)さんが揉むところから始まって。
――ダハハハハ! もう完全にアウトです!
で、「ギャー!!」とか言ってるのに、浜田さんが「ええやろええやろ」って言ってから、「待てい!」ってゴレンジャイが出てきて、そこからひとりずつボケていくんで、僕らの記憶ぜんぜん違ったと思って。僕ら間違って覚えてたんですね。浜田さんが小ボケとツッコミやってて、松本さんが中ボケと大ボケやってるみたいな感じだったのかな。
――徳井さんは、どうしてそうやって考察するようになったんですか?
あ、なるほど、これが考察なのか。たしかになんでなんでしょうね? 楽しいのかもしれないです、テレビ観てても全部これやってて。「いまノブさんがウケてるときの大悟さんの顔見た? あんなうれしそうな顔してるお笑い芸人いないよね」とかすぐしゃべっちゃうんで、テレビが好きなのかもしれないですね。
――同業者は戦うべき相手じゃなくて、評価し考察する対象というスタンスなんですよね。
絵みたいな感じで観てますね。「この額縁もいいよねえ」みたいなとこまでいっちゃってますから。鑑賞会です。タダで鑑賞できるんだから。
――どこかでモードが変わったわけですか?
いつからなんだろう? 当然テレビを観てない時期もあったんですよ、嫉妬だと思うんですけど、10年目まではほぼ観てなくて。後輩が出だしたのはあるんですかね。そのときには自分が一番おもしろいとかもまったくなくなって、なおかつ「爆笑レッドカーペット」らへんから後輩が活躍するようになって。
そのときは、おもしろいと思ってたりかわいがってたりする後輩が活躍するのがうれしくて。その子たちが今度ゴールデンに出たときにぜんぜんうまくいってないな、みたいな。それは考察に近いことしてるんですよ。なんでライブでおもしろいのにゴールデンでかしこまっちゃうんだろうと思って、それを言ったりしてたんです。「あれ観たんだけどさあ」みたいな、それが始まりかもしれないですね。
――不思議な立ち位置ですよね、自分がゴールデンに出るようになった上でアドバイスしてるのとはまた違いますから。
「おまえ出てねえだろ」って後輩は思ってたでしょうね(笑)。でも「おもしろくなかったよ」じゃないんですよ、「おまえもっとおもしろいのに」っていう。
――たとえば、同期のキングコングがバーッと売れたりすることに嫉妬はなかったんですか?
キングコングは1年目からだったんで嫉妬とか感じてない。そもそも同期とはいえ大阪で会ったことなかったんで。「西にキングコングっていうのがいるらしい。レギュラーがバンバン決まってるらしいよ」みたいな。そのときはダウンタウン病なんで、キングコングのネタを観ても「あ、こういう感じか。売れていく人なんだろうな」ぐらいにしか思わなくて、嫉妬はなかったかな。
――同期のキングコングへのジェラシーの話をよく聞いてたから珍しいなと思って。
それたぶん西ですよね、東京はピースとウチらしかいなかったですから。ウチらの同期ってベタめの人が多かったんですよ、三瓶もそうですけど。ダウンタウン病だから「ベタは悪だ」って洗脳されてましたから。「まあお客さんにウケる感じね」みたいに思ってたんで。
――別ものとして捉えて、ライバルじゃないねっていう。
「マック美味しいけどウチらは高級料亭を目指してるからさ」って感じでやってたんで、そこはなかったですね。西はすごかったらしいですけどね。よかったですよ、あっちに生まれなくて。山ちゃん(山里亮太)とか中山功太とか久保田かずのぶとか、NON STYLEとキングコングを意識してて、そこに村本(ウーマンラッシュアワー)もいてってもう考えられない、怖すぎますよ、ダイアンもいて。
――そして、高級料亭を目指していた人が料理評論家になるわけじゃないですか。
そうです、包丁を持つのやめるんですよ。でも、ちょっとだけ料理できるから、パパッと作ると「あ、意外と美味しいんですね、料理やったらいいのに」「いやいや私はもう道場(六三郎)先生に比べたらぜんぜん」「ホントですか? 作っても美味しいと思いますけどね」っていうことかもしれないです。さすがいい表現ですね。
――その料理評論が楽しくてしょうがない感じも伝わってきます。
楽しいですね。だから主婦のための弁当本とかまで読んじゃう感じです。
――「この本を書くにあたり一番大事にしてるのは、その人が絶望してるかどうか」ってことでしたね。
これ僕は気がついてなくて。担当さんが全部統一的に見て、「そういう人ばっか書いてますよね」って言われて、「あ、たしかに!」みたいな。いまも売れてる途中の子とかはあんまり好きになれないというか。キングコングも最近好きになったんですよ。ずっと売れ続けてた状態じゃなくて、みんなに叩かれだしてからおもしろくなったんですよね。
――わかります、人間味が出てきましたよね。
うん、なんかいいなと思って。カジ(梶原雄太=カジサック)がYouTubeを始めたときも、「芸人がYouTubeごときを」みたいな時代だったのに、成功したらみんなが「すごい!」って言い出したところとかカッコいいなと思いましたもんね。
僕だったら絶対ざまあみろって言ってると思うんですよ、バカにしたヤツの名前を羅列して「おまえらの収入の何倍稼いでます」とかヒカルみたいなことやってるんだろうなと思うんですけど、あいつらは大人だから西野(亮廣)もそんなことやらないし、そこでキングコングはおもしろかったんだって見直した感じはありましたね。
――徳井さん、YouTubeの再生回数が増えたら何かやらかしそうですね。
うん、危ないっすね。危ない危ない、だからいまぐらいがちょうどいいんです。発言も怖いしな……。僕ぐらいの微々たる再生回数でも噛みついてくるヤツいるのに、それの1万倍とかになるわけですよね、コメント数も。気にしちゃうでしょうね。
「過去の写真はすべて燃やした」
――あと印象深かったのが、徳井さんが高校の卒業文集に「30歳になったら死ぬ」と書いていたってことで。
フフフ、書いてましたね。その文集も燃やしました。
――燃やさなくてもいいじゃないですか!
だからホントに危ないですよね。吉村(崇)に「おまえスパイなんじゃねえの?」って言われますけど、過去の写真とか全部燃やしましたからね。
――証拠隠滅して家族との関係も断って。
怖いのが、明確な理由を覚えてないんですよ。わざわざ川まで行ってゴミ箱に写真とか制服とか全部入れて燃やしたのは覚えてるんですけど、それって結構な労力じゃなですか。そこまでして燃やしたかった理由も覚えてないんで。
――文集以外にそこまでヤバい活動をしていたわけでもないんですよね。
いやぜんぜん。ただ、停学を食らったときも最初は反社会的なことをずっと書いてたんですよ。文を書くのが好きでめちゃくちゃ反省文を書いてたんです。「学校に行っても意味がない理由」みたいなことを書いてて。先生は何日間か来てくれてたんですけど、3日ぐらい経って「おまえさ、これ一生学校来ないつもりなの?」って言われて、次の日から「反省してます、学校はこんなに素晴しいところです」って逆に全部バカにするかのように書いたんですよ。
そしたら1週間後に停学が解けて、社会ってなんてチョロいんだろうと思ったんですけど、危なかったですよ、こんな反社会のヤツが東京に来て。だから、それを燃やしたってことです。
――それって好きな音楽の影響もあったんですか?
THE BLUE HEARTSとかTHE YELLOW MONKEYとかeastern youthも好きでしたけど、でも歌詞はあんまり見たことなくて、歌詞を見るようになったのはホント最近なんです。
――「eastern youthを超えるかダウンタウンを超えるか」で、ダウンタウンを超える道を選んだ人なんですよね。
どっちみち失敗してそうですけど、音楽ライターの道よりはお笑いライターのほうが門が狭いから生き残れそうですね、いま思えば。
――音楽と違ってお笑いは、やってる側がちゃんと語るのが珍しい文化ですから。
そうですね、お笑いは特に。新聞配達やってて、それもよくなかったんですよ。中高で新聞配達やってて、それもいい話じゃなくてただ金が欲しかったんですよ。それも朝夕やってたんですよ。そんなヤツいないんですよ。それで月6万稼いでて。その代わり青春に大事な朝と夕方の2時間が取られるんですけど。だから学生時代なんにも覚えてないんですよ。
――ああ、部活もできなくなるし。
そう、なんにもしてない。友達とも遊ばないし、学校は全部遅刻してるんで。ただ毎月6万は稼いでるから6年間毎年100万弱は稼いでて。
――その年齢でその金額はデカいですよね。
すごいですよ。しかも田舎だからゲーセンもないし。それでバカみたいにCD買ってたんですよ。だから音楽だけはめっちゃ詳しかったんですけど。
――ホントに危険な状態だったんですね。
そうですね、パンクロッカーの学生時代と一緒ですもんね。
――完全にデストロイな状態じゃないですか。
そうそう。すべて終わっちまえって思ってましたね。だから「30歳で死にたい」って書きますよ。
――その後もギャンブル三昧で、基本ノー・フューチャーな生き方をしてきたわけじゃないですか。
危なかったですね、運がよかっただけで。変な人とやってたらそっちの道に絶対行ってたでしょうからラッキーでしたね。
――それが本を出すという夢も叶えて。
まさか40過ぎて夢が叶うとは思わなかったです。
2022.03.14(月)
文=吉田 豪
写真=平松市聖