「負けを味わったやつが売れる」。お笑い芸人21組の生きざまを綴った、平成ノブシコブシの徳井健太さん。”ダウンタウンにはなれなかった”徳井さんの今を、吉田 豪さんがインタビュー。


「文章を書くのが好きだったから本を出すのが夢だった」

 (新潮社の会議室で顔を見るなり)

 え! 吉田さん、すみません。勝手にYouTubeで……。

――YouTubeチャンネル「徳井の考察」で「吉田 豪さんのことはもともと嫌いだった」と徳井さんが発言した直後に、こうして取材に来たわけですけど(笑)。

 「でも、会ったらいい人だった!」「意外と愛ある人なんだ」って。

――なんの問題もないし、むしろ名前を出してもらえてうれしいです。今日は徳井さんの著書『敗北からの芸人論』発売記念インタビューです。前に徳井さんは「夢がふたつだけあって、それはゴールデンのMCとかお金持ちになりたいとかではなくて、ひとつは本を出すこと」と言ってましたよね。

 やっぱり『遺書』(朝日新聞社)世代なんで。ダウンタウンさんにはなれなかったですけど、ダウンタウンさんみたいなことができたら最高だなと思って、本を出すのは夢でしたね。

――芸人さんで出版が夢の人って珍しいと思いますよ。

 そりゃあ18歳の僕はゴールデンのMCとか、みんながビビるようなお笑い芸人になりたかったですけど、いろいろやっていくうちに無理かもしれんと思って。でも、文字を書くのは好きだったから、そこに並ぶのはいいだろうなと思いました。

――『文藝芸人』(文藝春秋)に掲載された、自伝的家族崩壊小説「団地花」もすごいよかったです。

 ありがとうございます。あれからウチの親とはもう会うことはなくなりました。

――え! ちょっと書きすぎちゃったから?

 もちろん小説なので、全部が本当の話ではないんですけど、ウチの父親には事前になんの許可も取らずに書いたんで。

――実際、書くに値する環境だとは思います。

 そうそうそう、芥川賞作家になってもおかしくないような環境ではあるんですよ。芸人になりたてのときは自分の悲しい過去みたいなことを普通に話してたんですよ、おもしろいと思ってたから。でも、みんなが悲しそうな顔してて笑ってくれないんで、これはあんまり言っても意味ないのかと思って言わなくなってただけで。

――みんな不幸話は好きだろうけど、それにもレベルがあるんでしょうね。

 そう! 貧乏話とか好きなんじゃないの? と思ってたら、「大変やったなあ……」とか言われて。そこまで大変じゃなかったんだけどと思って。

――最後、いい話に着地していれば笑ってもらえたりもすると思うんですよ。

 文春の偉い方から、「小説を書くなら自分自身のすべてをさらけ出して書いた方がいい」とアドバイスを頂いたこともあって、僕なりにそれを精一杯やったつもりでした。

「褒めたい人じゃないと言葉が浮かばない」

――それくらい本になりそうな経験をしてきた人が、今回は他の芸人さんについて書くことになったわけですね。

 そうですね。それこそ、芸人が芸人について語るのはタブーっちゃタブーだったんで。芸人について話すことは結構あったんですけど、文字にするっていうのはあまり好ましいことではないのかな、と思ってはいたんです。芸人さんって恥ずかしがり屋さん多いんで。これだけ時代が進んでもネタ帳とかみんな出してないじゃないですか。楽譜とかは出してるのに。やっぱり嫌なんでしょうけど、いい話なら大丈夫っしょ、と思って。クサしたりしてないんで。

――芸人さんには評論家を嫌う空気があるし、あんまり論評されたくないんでしょうけど、徳井さんが基本、褒めているのは本当にそういうスタンスだからなんですね。

 そうですね、褒めたい人じゃないと言葉が思い浮かばないかもしれないです。たまに偉そうにネタとか見せてもらう機会もあるんですけど、なんにも思わないこともあって。でも、お客さんが入ってるとなんか言わないといけないし、笑いにしないといけないじゃないですか。それが難しいんですよね。それがスタッフとか芸人しかいないんだったらまだ言えることはあるんですけど、お客さんがいて、なおかつ何も思わない芸人さんが相手だと、もう違う角度のボケを考えるしかない、みたいな。

――最近そういう仕事が増えてきてますもんね。

 これ本意じゃないんですけど、でも断るのもダセえなと思って。一歩踏み込んだんだったら行き着くとこまで行くっきゃないでしょって感じで若手のネタも見せてもらってますけど。それこそこの前の「あらびき団」(TBS系)を観てて、それまで東野さんのMCをそんな目で見たことなかったんですけど、まず普通の意見と悪魔っぽい意見と、ゲストに振ってそれをフォローするみたいな、ひとり三役ぐらいやってるんですよ。こりゃすげえやと思いましたね。

 藤井(隆)さんとしてはやることなくなっちゃうだろうなっていうぐらい東野さんが完璧にこなしているのを見て、うれしい人に任されたなと思いましたし、視野が広がりましたね。

――もともと東野さんが「週刊新潮」で「この素晴らしき世界」という芸人紹介連載をやっていて、その後任として指名されたわけですよね。ただ、東野さんの書き方は徳井さんと比べて、もうちょっと悪意も混ざっていたじゃないですか。

 そうなんですよね。そこまで思ってるかわからないですけど、イジッておもしろく返せる人に意地悪なことを言ってて。この子たちはイジッてもダメかっていう人には結構誉めて終わるみたいなパターンをやってるんで勉強になりました。東野さんはエピソードトークを書いてたんですよね。僕は自分が実際に書いたことや感じたことを中心に書きました。

――徳井さんは芸人飲み会が苦手で、「正直パワハラと感じることもある」「今でも行くのが億劫で、1週間前から憂鬱になる」から、東野さんに相談したって話も興味深かったです。

 「僕は行かなかったな全部」ってヤツですよね。いまの20代みたいな動きを30年前くらいに東野さんがもうやってたってことですもんね、早いですよ。若いときってついつい権力者に媚びたほうが仕事が来ると思っちゃうんですよね。そうじゃないと思ったのか、それを行動に移して結果を残してるっていうのは東野さんすごいし、見習いたいですよね。

 だから東野さんはすごく気を使って誘ってると思うんですよ。ラジオにも呼んでもらったことがあって。僕からしたらただただうれしいしんですけど、東野さんからしたら、「ラジオで呼ぶなよと思われてるんじゃないかな」とか思ったうえで呼んでくれてるんだろうなって。

――東野さんは飲み会が嫌いなわりにボクは食事会とかに呼ばれて。年に1~2回、定期報告してるんですよ。あの人ちょっと変わってて、ボクが人違いでビートたけしさんに脅された事件があったんですけど、そのときも真っ先に連絡してきて「ちょっと会おう」って。

 ああ、そういうの好きなんですね。

――そうなんですよ。しかも、ちゃんと裏を取る人で、ジャーナリストなんですよね。

 もしかしたら僕にもその面があったのかもしれないですね。「ちょっと徳井くんの話、聞いてみたいかも」って思われたのかもしれない。なるほど、興味深かったのか。なんなんだろうっていう確認したかったのかもしれないですね。

2022.03.14(月)
文=吉田 豪
写真=平松市聖