「アイドルだと認識されて苦しかった」大塚愛(39)が明かす“デビュー直後の戸惑い”《『さくらんぼ』から19年》 から続く

 大ヒット曲『さくらんぼ』をはじめ、『SMILY』、『プラネタリウム』など、これまで数々の楽曲を世に生み出してきたシンガーソングライターの大塚 愛さん(39)。

 デビューから19年、常に第一線で活躍しつづけてきた大塚さんですが、「今もまだ目標は達成できてない」と言います。さらには、「基本、仕事は楽しくない」と語る意外な真意とは――。お話を聞きました。(全2回の2回目/前編から続く

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――前編では、自分では尖ったことをやっていたつもりなのに、デビュー直後はそれが「かわいい」と捉えられてしまったことに違和感を覚えていたと伺いました。では、今の大塚さんはどのカテゴリーにいると感じていますか?

大塚 何なんでしょう。よく分かんない人じゃないですかね(笑)。

――(笑)。デビューしてからは、ご自身の実力不足を感じる機会も多かったとのことですが、この19年間の活動を振り返ってみて、なかでも大変だったこと、失敗したなと思うことはありますか?

大塚 もう毎回と言ってもいいぐらいですね。ライブもテレビも、うまくいったなと思えるのはほんと5本の指に入るぐらいしかないから、ほぼ失敗みたいな。その中でもこれ、というのをあげるのは難しいんですけど……一番つらかったのは、『ポケット』というシングルを出したときに、テレビに出たんですよ。でも、本番になったらイヤモニの電池が切れていて、音が出なかったんです。

 それでも、外で鳴ってる音を拾ってなんとか歌ったんですけど、自分の中でその楽曲への思い入れとか、一生懸命大事にしたいという気持ちが強すぎちゃって、そうしたトラブルがバッて起きたときに、どうしようってなってしまって。生放送だったし、もう怖くて、声も震えちゃって全然歌えなかったんですよね。それが本当にショックで、終わった後、楽屋ですごく号泣したのは覚えています。

2022.01.24(月)
文=松永 怜