ロシアで聴くチャイコフスキー、韓国で食べるキムチ……その場所でしか味わえない良さがある

 

――海外を旅されることも多いと思いますが、反田さんの必需品って何ですか?

 服と靴と楽譜ですね。楽譜が重いんですよ。今日も楽譜を持っているけれど、サイズも大きくて、ツアーになるともっと増える。ショパンコンクールの時は、楽譜だけで15、16キログラムにもなりました。しかも、広辞苑くらいの厚みがある、ショパンにまつわる書籍を2冊も持って行ったんですよ。

――ショパンにまつわる本とは、どんな内容だったのでしょうか?

 ショパンが残した手紙をまとめた本です。句読点とか書き方ひとつで、文章から書いた人の性格ってわかるものなんですよね。ショパンはもう生きていないし、映像もないので、手紙から性格を推測します。音楽家って表面的に見れば、勉強して楽器を弾いてという感じですが、意外とそういった推測をすることも大事なんです。

――反田さんは、ショパンについてどのように捉えられたのですか?

 日本でのショパンのイメージって、病弱や鬱っぽいなど、ややネガティブなものが多いですよね。でも14歳の時に書いた手紙を読むと、乗馬をして草原を駆け巡っていたような元気な子ども時代を過ごしていたりして、やっぱり男の子だったんだな、とか思うんです。

 彼の作品も、ノクターンのように訴えかけてくる美しい曲をイメージして固定概念に縛られがちですが、きちんと調べていくと、そうではない曲もあるとわかりました。そういうのは、日本にいたら気付くことができなかったかもしれません。

 

――海外を旅することで得るインスピレーションはありますか?

 初めて留学したのがロシアだったんですが、ロシアで聴くチャイコフスキーのシンフォニーは格別だったんです。たとえば、韓国で食べるキムチと日本で食べるキムチって違いますよね。イタリアで食べる生ハムメロンはなんかおいしい。

 そういう感覚で、ロシアで聴くチャイコフスキーは、土臭くて、寒い、みたいな感覚になる。ポーランドで聴くショパンは切ないなって染みるし、そういうのってありますよね。

――留学されたことで、どんな風に意識が変わりましたか?

 日本人の若手アーティストで、音楽祭を持っている人ってあまりいないですよね。でもヨーロッパやアメリカの同年代の音楽家って、「僕、音楽祭持っているんだけど出てくれない?」なんて言ってくることが、ざらにある。

 音楽祭っていうとセットが組んであって晴れの舞台のイメージだけど、海外の子からしたら小さいハコでも何日間かコンサートをやれば、それは音楽祭だという。気楽に音楽祭を作っている子が多くて、そういう価値観っていいなと思いました。

 日本人は安全な方向にいきがちで、クラシック界にもそれが顕著に表れていると思います。自分で発信する人が少ないというのは、海外との大きな差。今は何でもできる時代だから気軽に始めた方がいいと思うし、そういう意識は海外に出てより強くなりましたね。

オーケストラの会社を作った理由とは

 

――今年、ジャパン・ナショナル・オーケストラ(略称:JNO)を起ち上げられた経緯を教えてください。

 演奏家って大半は個人事業主みたいな感じで、定期的にコンサートがあるとは限らないので、コロナ禍になって本当に大変な生活をしている人もいる。アーティストのコンサートが減るということは、照明などステージに携わるたくさんの人たちの死活問題にもなるわけで、少しでも、何かできないかなと思ったんです。

 僕は、アーティストにも毎月きちんと収入があった方がいいと思っていて、安定した環境を仲間にも共有したいし、だったら会社を作ろうって。月給をお支払いして、奨学金みたいな形で受け取ってくれたらいいし、でもたまにはオーケストラで一緒に弾こうという感じですね。

 あとは、もうひとつの大きな理由として、学校を作りたいという目標があるんです。

――どのような学校を作りたいと考えていらっしゃるのですか?

 音楽学校って47都道府県に大体ありますが、少子化問題もあって大変な状況なんですね。クラシック音楽界はそれをどう維持するかしか考えていないけど、経営が困難になるのは時間の問題です。それならば47都道府県にある必要はなくて、日本に2つ3つ、大きな音楽学校があればいいのではないかと思います。

 僕も海外に留学している身ですけど、海外から日本に来る学生はほぼいない。どうしてだろうと改めて考えてみると、音楽教育のカリキュラムはあっても、ソリストを育成する土壌がないんです。第一線のソリストとして活躍するために何をすべきか考えた時に、プロのオーケストラならば勉強も活動もしやすいと思いました。

 要は、学校のため、子どもたちのためのオーケストラで、学校専属だけどプロであり続けなければならない。世界各国からソリストを呼びたいし、そうすることでオーケストラも学校もブランド力が上がっていくと思うんです。

――学校はどこに作ろうと考えているのですか?

 クラシックって200年も300年も続いてきたもので、10年前より10年古くなって反比例していく。僕自身、そういう勉強をしているからこそ、古い文化が好きなんです。日本チックな学校にしたいんですよね。僕は将来、着物で学校に通って、下駄でピアノを弾きたい。

 だから学校を作る場所も、歴史や文化がしっかりとある奈良県に決めています。奈良公園のシカの数くらい、楽器を背負っている子が増えてほしいですね。

2021.12.24(金)
文=鈴木桃子
撮影=角田航
スタイリング= 于洋
ヘア&メイクアップ=伏屋陽子