ブレイクまでの道のりをどう見ていた?
「あのダンスに圧倒されたのはもちろん、デビュー当時は今よりもふっくらしていて、地方から都会に出てきた息子のように見えたんです。
2015年に釜山のファンミーティングで見た『DOPE』のパフォーマンスも忘れられません。『血、汗、涙』(2016年10月)で急に色っぽくなってからは、セクシーなダンスにも魅了されています(笑)」
BTSの所属事務所はデビュー当初から日本でのプロモーションに力を入れていた。毎月来日していたので、ひまひまさんは「我が子に会うより彼らに会う回数のほうが多い」と冗談で話していたそうだ。彼らがブレイクするまでの道のりを、どんなふうに見ていたのか。
「大変なことはたくさんあったと思います。まず、小さな事務所に所属していたから歌番組の出演時間も短く、自分たちのすべてを見せることが難しかった。『防弾少年団』というグループ名も、本人たちは恥ずかしくて素直に話せなかったようです。
それはファンにとっても同じで、私はいろんな人にバンタンをすすめようとしたのですが『防弾少年団』という名前を出すだけでクスリと笑われてしまう。なかなか本題にたどりつけませんでした。
途中でコンセプトを少し変更して、海外向けの名前を『BTS』にしたのは良い戦略だったと思います。でも彼らが『防弾少年団という名前に負けないように、決してファンになったことを後悔させません』と言っていたことも印象に残っています」
「原爆Tシャツ騒動」を越えて
2018年に起こった「原爆Tシャツ騒動」も乗り越えて、ひまひまさんがずっと応援し続けられた理由は?
「よく言われることですが、公式ツイッターをはじめいろんなコンテンツを通して、彼らは素に近い姿を見せてくれました。舞台だけを見ているのと違って身近に感じられたので、8年間も追い続けられたのでしょう。
2013年ごろはまだツイッターを利用しているアイドルが少なく、事務所のアカウントはあっても毎日のように何かアップしている人はいませんでした。しかもBTSは個人のアカウントを持たずグループで共有しているので、7人全員に親しみを感じられたことも良かったと思います」
2021.12.12(日)
文=紫野 あみ