はっぴいえんど解散後の大滝さんは、自分で歌うものに関しては曲が先だった。そうじゃないと、松本色が強く出過ぎるから、と。バンドの解散の遠因はそこにあると思っている。ぼくが書く詞が強くなり過ぎた。大滝さんの曲で松田聖子や森進一に提供した歌は詞が先で、そのほうが世界が膨らむと言っていた。

 京平さんは、最初は曲が先だったが、『木綿のハンカチーフ』以降は詞先と交互になった。お互い仕上げた曲と詞を交換して次の作品を作れば効率がいい。京平さんはそれができる人だった。

 ことばのリズムを取るうえでも、ドラムの経験は有利に働いている。歌として完成した形まで見通して詞を作ることができる。音楽に対する知識があるかないか。とくにリズムがわかっていて書いた詞は、作曲も編曲もやりやすいはずだ。リズムは完全にぼくのからだに入っている。考えなくていい。ぼくが書くと自然に音韻が整う。メロディといっしょにことばが跳ねる。跳ねることばには快感があるし、記憶にも残りやすい。そこは他の作詞家よりも有利な部分だと思う。

 

扉の向こうに詞の宇宙がある

 歌謡曲の作詞をするようになってからも、作曲家はそんなにたくさん組んでいない。はっぴいえんどの3人と、南佳孝とユーミンと筒美京平さん、財津和夫。みんな分かりあっているメンバーで、みんなサウンドを持っている人たちで、みんな詞を欲しがる。詞を書く前からメロディもサウンドも浮かんでくる。京平さんだったらこういうサウンドで来るだろうな、というのを読んで、裏をかくのが楽しい。

 ぼくにとっては、詞を先に作るほうが難しいのだが、それは、扉があってなかなか開かない感じに似ているかもしれない。開いて入ったら別の宇宙がある。しばらくそこにいて、出てきたら詞が完成している。

 バブルな時代、作詞のためにホテルのスイートを取ってもらったことがあった。詞を作る間、ディレクターがいっしょの部屋にいたのだが、ぼくは全然動かなかったらしい。自分が何をしていたのか、自分ではわからない。ぼくの様子をずっと見ていたそのディレクターが「ペンを持って突然書き出したらあっという間にできていますね」と言っていた。頭のなかで並べたことばを記録しているということなのだと思う。

2021.11.20(土)
文=藤田久美子