2011年を軸に過去と現在を行き来するストーリーは複雑だが、佐藤健の眼を見るだけで今がどの時代で、利根がどういう心理状態にあるのか観客が直感的に把握できるほどだ。海外公開で俳優の声にはその国の吹き替えが入る場合もあるが、佐藤健の眼の演技はどんな言語や文化の観客にも翻訳不要のメッセージを伝えることができるだろう。

 佐藤健がその雄弁なまなざしで演じていくのは、「きれいごと」ではない被災地の生々しい現実だ。それは単に3・11の特殊な状況ではなく、コロナ禍で多くの店舗が閉店し、経済が激甚なダメージを受けた現在の社会と重なる。企画時には震災から10年を意図したであろう作品は、奇しくも未知の新型感染症という世界的な災害の中で公開されることになった。

 

まだ10代である清原果耶への揺るがない信頼

 震災の中で妻子を失った刑事を阿部寛が演じ、林遣都、宇野祥平、原日出子、倍賞美津子、吉岡秀隆、永山瑛太、緒形直人という名優たちが被災地の人々、刑事や市役所職員ら重要な意味を持つ人物たちを演じていく。この俳優をこんな役に投入するのか、という驚きは、松竹映画の総力戦のような意気込みだけではなく、「大物俳優だから善人側の役」などという観客の先入観を裏切る、誰が善で誰が悪か、何が善で何が悪かを攪拌する物語だからだ。

 生半可な俳優は1人もいないその総力戦の中に、まだ10代の清原果耶がいる。パンフレットで監督が語るように、原作では彼女が演じた円山は男性であり、また同時に物語の鍵を握る人物だ。その性別を変更し、まだ10代の女優に任せる大胆な配役は、清原果耶の演技に対する揺るがない信頼のあらわれだろう。

 福祉保健センターの職員を演じる清原果耶は、貧困から生活保護に追い込まれる被災地の人々と向き合う円山の苦悩を確かな演技力で表現していく。朝の連続テレビ小説のイメージとあいまって、観客は彼女の中に誠実さと信頼を感じるだろう。だがそれは、佐藤健の演技が観客に強烈に印象付ける不信や警戒と表裏一体となる感情の誘導なのだ。

2021.10.26(火)
文=CDB