三島由紀夫『仮面の告白』の衝撃

 杭、もしくは、木に手足を荒縄でくくられ、無抵抗な姿勢で全身に矢を浴び、血を流しながら、憂いに満ちた大きな瞳で天を仰いで苦悶する、腰布一枚をまとった、ほぼ全裸の若い男性、もれなく美形……それが一般的な聖セバスチャンのイメージだろう。何を隠そう、小学校から高校までをフランス系カトリックの一貫校で過ごしたこの私も、学校の図書館にあった美術全集でソレを初めて目にし、「ぜひ本物の聖セバスチャンの絵をこの目でみなければ」という思いが募って、ついには美術史を志すまでに至ったような気がする。

 つまり、小学生の男子が週刊誌で好きなアイドルの水着写真を見たときのような(昭和のハナシで恐縮です……)、「何かいけないもの」を見てしまったような、強い衝撃を受けたのだ。

 聖セバスチャンとの遭遇によってみずからのセクシュアリティに気づいたという作家、アーティストの記述は多く、我が国の誇る文学者、三島由紀夫は1949年に発表した小説『仮面の告白』の中で、彼自身を投影した主人公が13歳の時に「父の外国みやげの画集」にあったセバスチャン殉教図を見て、初めて自慰行為に及ぶシーンを描いている。また、1968年、「血と薔薇」(澁澤龍彦責任編集によるエロティシズムと残酷の綜合研究誌)の「男の死」をテーマにした巻頭特集では、自らを聖セバスチャンになぞらえた写真を篠山紀信に撮影させてもいる。

 一方、海外へ目を向けると、同性愛を咎められて投獄されたオスカー・ワイルドは刑期を終えた後、「セバスチャン・メルモス」という偽名を使って旅行をしているし、AIDSで亡くなった映画監督のデレク・ジャーマンは「セバスチャン」(Sebastiane)を制作している。このように、BL傾向のアーティストにとって聖セバスチャンは、避けて通れない、普遍的「萌え」テーマとなっているのだ。

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2013.06.01(土)