1997年の「口唇」、1998年「誘惑」は、二人称が「オマエ」でメロディーも攻め!どれだけオラオラしているのかと思いきや、「オマエの手招きに揺れてる」(「口唇」)「オマエが誘うままに oh 溺れてみたい」(「誘惑」)。主導権は彼女にあるのだ。気のいい主人公が浮かび、聴いているこちらが思わず「相談に乗ろうか?」と言いたくなる。

GLAYの歌には「函館」が見える

「HOWEVER」や「COLORS」などは、逆に彼らが手を広げて待機してくれている感じ。

「何か言いたいことある? 全部聞くよ」

 と、やさしい眼差しで微笑む人が前にいるような感覚になるのである。

 GLAYの歌の「包容力」の源にあるのは、四季と自然の描写である。それも故郷の四季だ。サザンオールスターズに「湘南」が見えるように、GLAYには「函館」が見えるのである。

 

卒業式で「グロリアス」を歌いたかった……!

 本州よりも1ヶ月遅れて桜が咲き、カラリと爽やかな夏がきて、大きな夕やけに見惚れ、激しい雪が舞う。

 特に冬の歌から漂う切なさは別格。自然に囲まれ育ったものにしか出せないムードがある。私は夏が苦手で、時々クーラー代わりに冬の歌を聴いて涼を取るのだが、もちろんGLAYの歌はヘビーローテーションである。

「Winter,again」「Missing you」「ホワイトロード」「氷の翼」etc……。特に「氷の翼」は最近店で流れていて、美しくてビックリしたという偶然の出会い。

 あまりにきれいなので、歌詞を必死で聞きとり検索をかけたら「ああ~やっぱりGLAY!」。参った、参りましたと唸り、その場でプレイリストに加えた。

「聖母たちのララバイ」を初めて聴いたときと似たショック。もし「火曜サスペンス劇場」が復活したら、この曲をエンディングで流してほしい。絶対合う!

 もちろん、冬の曲以外も四季を愛するGLAYの歌はどれも瑞々しい。「春を愛する人」「さくらびと」は、季節の花が彩られた美しい便箋に、とてもキレイな字で書かれた手紙を読んでいる気分になる。「グロリアス」は、私の学生時代にこの曲が存在していればどれだけ嬉しかっただろう。卒業式で、友達と歌いたかった……!

2021.07.19(月)
文=田中 稲